占い一言コラム 相性占い編8
◆相性占いは、自分を相手に会わせるためにどうしたらよいかと考える場合と、相手を自分に合わせるようにし向けるにはどうしたらよいかを考えるという場合がある。主体を自分においている場合は、自分が答えを出そうとする。
しかし、「相手よ変われ!」というのは、いくら占っても何も変わりはしない。
人生は相対的な関係だからだ。
◆相性というのは不思議なもので、いつも変化するのだ。今はいいと思っても明日はわからないのが相性だ。しかし、その中にも変わらないものがある。それをつかめば、変わる相性を楽しむことができる。
20年かかってつかむのか?それとも一瞬でつかむのかは自分次第である。
占いは、そういう「一瞬をつかむ為の道具である」と思うべきだ。
◆相性は自分を知ることでもある。逆縁の仏ということばがある。相手によって自分の仏性が啓発されるのだ。それを啓発させてくれた相手は、いい人ではないことが多い。だからこそ自分の心が刺激を受けるのだ。相性というのはそういう面からも人と自分を知るための最小限のデータを提供してくれるということがいえる。
◆相性占いは相性を占うものだけではない。実は「生き方占い」でもある。どのように相手とつきあい、どのように自分は身の程来し方をすればいいのかということだから、それは自分の生き方になるのである。でもそれは、ちょうど処方箋を与えているようなものだから、本当はその人の生きるということの哲学がなければならない。それがないから自分を創れないできてしまったのだ。
◆ 本当の相性占いというのは、自分との関係をどうやったら築くことができるのかということを占うものだ。占うというよりは分析に近い。ただ何となく相性が合いますね!では意味がない。相手とのつながりを探してあげなければいけないのだ。そのつながりをどう生かすのか?どうすればそのつながりが意味を持ってくるのか?それを占ってあげるものなのだ。
◆相性占いは、「ただ相性を占います。」なんていうのは、面白くも何ともない。それよりも、相性指南ということが実際は多いのだ。誰も相性をみて欲しいのではなく、その裏には、どうしたら仲良くなれるのとか、どうしたら恋人宣言できるのとか、友達関係がもう少し進展しないかななどという思惑がいっぱいなのだから!だから、「天使の占い」での相性占いは、相性を指南するといった方が本当のところなのだ。
◆相性というのは、やっぱしあります。やっぱしと書いたのは、そんなものは信用していないという人がいるからです。しかし、どんなものにも適した相手というものが必ずあるものです。逆に考えると、相性が合うというのは、それだけで実は新しい何かを創造する目的を互いに持っていて、それが一致しているから相性が合うのです。それが宇宙の法則というものなのです。水素と酸素が結びついて見ずになるようなものです。これは元々水を構成するためにあったと考えてもいいわけです。自分と妻は、または自分と主人はこういう家庭を作るために出会ったんだ。そう考えても相性的には間違いはないのです。
◆相性占いで相性がいい、悪いなどと勝手に決めつけて自分の生き方を決めてしまうのは問題なのだ。相性占いは、どうやって相手と付き合うかということを占うための処方箋なのだ。それを相性占いで恋人になるかならないかなどというのは、ただのゲームである。相性占いはそういう意味では、人間関係のつきあい方の距離学でもある。
◆相性占いの中で、最も多いのは恋人との相性はどうなっているかということだ。恋の実現に命の炎を燃やすというのは、生きている証拠でもあろう!でも、相性占いで「相手が何を考えているかを教えて欲しい。」というのは、もはや恋ではなくなってしまっている。恋そのものが”貝合わせ”のような相性だからである。そこが楽しいはずなのにね!
◆出会いが人の運命を変えるというのは、そういう可能性はある。それでも、どんな人が出会えるようになるかというのは、自分の持っている世界が課題だ。どういう人を呼び込むことができるかというの人の世界観の問題がある。相性というのは、ただ気が合うというのではない。どんな人と人のつながりを持てるかということが相性という環を大きくすることができる。
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