プロゴルファー青木功さん
■優勝回数:通算84勝 <国内57勝・海外7勝・国内シニア8勝・海外シニア9勝・海外グランドシニア3勝>
初優勝・日本男子: 関東プロ (1971年)
米国男子: ハワイアン・オープン (1983年)
賞金王日本ツアー賞金王1976年 1978年から1981年
賞金ランク最高位日本男子: 1位 (5度)米国男子: 34位 (1983)
■青木功さん
タイプ14-18:人情的な人のつながりの中で、策戦的思考するタイプ
★青木功さんの運命式
13 12 17
9 18 9
14 6 10
<青木功さんの流運>
17 13 13 17 17 13 13 17
10 14 14 10 10 14 14 10
●青木功(wikipediaより抜粋)
中学時代は野球部で、長身の為、一塁手を任されていた。
最も遅咲きのゴルファーとしても有名で30も半ばにして突然強くなった。それまでは鳴かず飛ばずでどん底生活に甘んじていた。
「飲む打つ?で元キャディーだった前妻にはたいへんな重荷を負わせた」と「私の履歴書」に書いている。
1964年、二回目の受験でプロテストに合格。
1965年、関東プロゴルフ選手権で日本ツアー・デビュー。
1971年(29才)、関東プロゴルフ選手権で日本ツアー初優勝。
1973年、国際興業配下の日本電建と所属契約締結。
1975年、マスターズの前座試合「パー3コンテスト」で、米国籍外選手として初の優勝。
1976年、初の日本ツアー賞金王。
1978年から1981年にかけて、4年連続で日本ツアー賞金王。
1978年(36才)、「世界マッチプレー選手権」で海外ツアー初優勝。同年、宏子夫人 (チエ夫人) との再婚を発表。
1980年、全米オープン準優勝。4日間「帝王」ジャック・ニクラスとラウンドし、死闘を繰り広げた。
1981年、正式な米国レギュラーツアーのライセンスを取得。マスターズ「パー3コンテスト」で二度目の優勝。
1982年、米国レギュラーツアーの賞金ランキング122位。日本人初のシード権を獲得。
1983年、ハワイアン・オープンで、日本人初の米国PGAツアー優勝。欧州PGAツアー「ヨーロッパオープン」優勝。
1989年、豪州ツアー「コカ・コーラクラシック」優勝。世界四大ツアー (日米欧豪) 優勝を達成。
1992年、米シニアツアー (現在の名称は「チャンピオンズ・ツアー」) に主戦場を移し、同年の「ネーションワイド選手権」にて初優勝。
1994年から1997年にかけて、日本シニアオープンゴルフ選手権競技4連覇を達成。
1997年、青木功ジュニアクラブ発足。以後、ジュニアの育成にも力を注いでいる。
2001年、米シニアツアー「フォードプレーヤーズ選手権」にて、通算1,000試合出場を達成。
2004年、日本人男性として初の世界ゴルフ殿堂入り。
2007年、最終日に65をマーク、エージシュートを達成し逆転で日本シニアオープンゴルフ競技を10年ぶりに優勝。2002年のキャッスルヒルシニアオープンで鷹巣南雄が樹立した「59歳4カ月」を6歳近くも塗り替え、「65歳2カ月」で大会を制した。
2008年、秋 紫綬褒章受章。11月9日の鬼ノ城シニアオープン最終日、最終ラウンドを66で周り、2度目のエージシュートを達成した上、優勝を果たした (プレーオフ、4ホール目にて) 。
2010年、同年2月より1ヵ月間、日本経済新聞社朝刊にて「私の履歴書」を連載。
2010年、5月9日、慈善ゴルフ、ザ・レジェンド・チャリティーで66を記録し、3度目のエージシュートを達成した。
★ここまで記事は、プロゴルファー青木功さんの仕事数17が結果成就型、物事の形をなすという運勢を持っていることを物語っています。
それと同時に、青木功さんのタイプは人情的で人のつながりを大切にして、細かく物事を考えて策戦を立てられるということです。
そういうところが運命式に出ています。人のつながりを作りながら細かく策戦を立ててそれを結果に結びつけるということができる。
その技術力を持っているということがプロゴルファー青木功の強さといえます。でも、その強さを導き出すもう一つの秘密が運命式にあります。
それは・・・
鷹巣南雄の紹介で王貞治と親交を持つ様になる。青木は「王さんをスポーツ選手の鑑にする」と王貞治を手本として日々を過ごすと、1971年に関東プロで初勝利、その後は王さんと同じように、「“世界”の青木」というニックネームを頂くまでになったと青木は語る。
尾崎将司が日本国内のツアーにほぼ専念していたのに対して、青木功はこれまで海外ツアーに積極的に参戦しており、アメリカでは最も名の知れた日本人プロゴルファーの一人である。
人気数が13で心霊数が14ということは、人に対してリーダー型で積極性があり、人とのつながりや人情を大切にするということ。
気さくで開けっ広げな性格で知られる。米国ツアー参戦後も英語が上手く話せないながら、笑顔やボディランゲージを含めて色々な選手らにどんどん話しかけ、多くの人々と友人になれたという。
ゴルフ界以外の友人も多く、ビートたけしのことを「たけしさん」ではなく「ビートさん」と呼ぶ、数少ない人物でもある。
グレグ・ノーマンと親友である。グレグ・ノーマンはゴルフ界でもアスペルガー的な性格で知られ、奇行や人見知りが有名であまり交友関係を持たないのだが、二人は本当に仲が良く、青木が左肘を故障した際には主治医の紹介やリハビリについてのアドバイスを与え、青木が世界ゴルフ殿堂入りした際にはプレゼンターを務めた 。
口調はべらんめぇ調で、一時期の口癖は「しゃんめえじゃんよ~」 (仕方がない、の意) 。ゴルフ解説においても、フランクな口調が特徴。
プロテストの受験費用は競輪で稼いだ。
★プロゴルファー青木功さんが花を咲かせるようになってきたのは、王貞治氏と親交を結ぶようになってきたからだということです。
これは、青木功さんの運命式が人によって影響を受ける、人から生きるヒントや道を教えてもらえる。人との関係の中に自分作りの運勢があるということを物語っています。
もう一つ、青木氏のベランメー調と自信と強気と一見無造作に見える明るさはどこから来るかというと、彼の流運の運勢に負うところが大きいと言えます。
★青木功氏の人生の中で一番のポイントは、30才くらいから45才くらいまでの間に自信と攻めのゴルフ(しかし、とても作戦的)で基盤の築きました。
でもその背景には、彼の運命式の一番のポイントは人に恵まれたということです。人をつないではなさない運勢をプロゴルファー青木は持っているということなのです。
名前の分析と解説
サッカー 日本代表監督 西野朗 |
西野監督は、選手時代も監督時代もやはり天才的な働きをしていることは誰もが知っているところです。 日本代表監督に西野監督デビューは、2018年4月7日、ヴァヒド・ハリルホジッチが突如として日本代表監督を解任されたところから始まります。(古い記事ですがお楽しみください) |
---|---|
カーリング女子 銅メダルの秘密 (2018年平昌Olympic) |
ピョンチャンオリンピックで脚光を浴びて人気が出たのは、カーリングですね! そのカーリングが何故面白いかということなのですが、それは競技の持つ性質というか模様です。 まるで将棋や囲碁のように、相手をとったり陣地を追い出したりなど戦略や作戦が息詰まる戦いぶりが選手にも観客にも分かるからです。 |
バンクーバー パラリンピック アルペンスキー 狩野 亮 |
09年世界選手権韓国大会の大回転とスーパー大回転で準優勝。 ワールドカップカナダ大会の滑降3位。 車イス・スキーヤーとして、4年前のトリノパラリンピックに出場。 回転で27位という成績に終わり、一度はどん底に突き落とされた。バンクーバーでは、その雪辱を期す。 「自分の滑りを出し切ることができれば、メダル争いの自信はある。これまで支えてくれた人たちに感謝の気持ちを伝えたい」 |
元巨人 150キロ右腕 うどん店に転身 |
元巨人の150キロ右腕が歩むセカンドキャリア なぜ“うどん店”に挑んだのか? 2000年に巨人の19歳高卒ルーキーとして颯爽と1軍デビューを飾り、その後もイケメンのリリーフ投手として活躍した條辺剛(じょうべ・つよし)氏。 右肩を痛め24歳の若さで現役引退後、本場・香川県でうどん作りを1年半修業し、2008年に埼玉県ふじみ野市に「讃岐うどん 條辺」をオープンさせた。 いまや人気店として知られている。 |
羽生善治 (永世7冠)さんと 羽生結弦さん |
羽生善治(永世7冠)さんと羽生結弦さんの運命式は全く同じ 2017年12月5日、将棋界初の永世7冠となった羽生善治さんの名前と羽生結弦さんの運命式を判断してみよう!(2017年の記事) |
星奈津美 渡部香生子 平井伯昌水泳コーチ |
星奈津美 渡部香生子 平井伯昌水泳コーチ メンタルと技術そしてコーチ! メダルに届く人とそうでない人の違いを、メンタルと技術とコーチの観点から分析してみました。 |
中日を首になった 巨人の吉川大幾! (2014年の記事) |
まず日刊ゲンダイ 8月5日の吉川大幾さんの記事を見てみましょう。 今は(2020年)巨人を首になった。 https://www.chunichi.co.jp/article/14916 https://hochi.news/articles/20201225-OHT1T50291.html?page=1 |
4年目の逆転劇 金メダリスト 阿武教子 |
2004年アテネオリンピックにはドラゴンがいた。 ー78キロ級金メダリスト・阿武教子ー どうしても僕には書かねばならないことがあった。 それは 日本のお家芸、柔道のことです。2000年のシドニーオリンピックの柔道について二人の選手の結果を取り上げました。 一人は阿武教子選手、もう一人は井上康生選手です。 |
プロゴルファー 青木功さん |
青木 功 (あおき いさお、1942年8月31日 - ) は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファーである。 日本プロゴルフツアー永久シード保持者。 1980年に全米オープンで準優勝を果たすなど、尾崎将司、中嶋常幸と共にAON (エーオーエヌ) と呼ばれる日本を代表する名ゴルファーの一人である。 日本ゴルフツアー通算51勝は歴代2位である。 |