吉法師が元服して織田信長となりました。ここで彼の運命はどのように引き継がれたのでしょうか。先ず信長の運命式表を見て下さい。バッと見て一番の問題は愛情運がドラゴンということです。
信長にとって致命的なのはこのドラゴンが愛情運にあったということです。このドラゴンが愛情運にあると強烈な愛のとりこになります。愛情を欲してやみません。自分が常に愛の中心にいなければなりません。
自分を愛しているかいないか、敏感にすぐに感じ取ります。ですから自分をどんなに見ているかで信用の度合いが決まってしまいます。
極端な偏愛と嫉妬心が特徴となります。しかもこのドラゴンの影響は、人間関係を表す人気運、仕事運に直接影響を与えます。
ここに信長という人間の特徴が強く現れています。ドラゴンは運命式全体を変えてしまう程の力を持つのです。
さて、信長はこの運命式でなぜ天下を取ることが出来たのでしょうか。ここに一人の人物を紹介しなければなりません。
その前に、信長を研究してみる必要があります。
■天下への系譜・織田信長
■いったい信長という人物は、何故戦国乱世に終止符をうつ事ができるようになったのでしょうか?
その答えを運命式に見てみましょう!
<織田信長の運命式>
社会的性格 タヌキ チンパン トラ
人気運 ライオン
仕事運 ヒツジ
家庭内性格 タヌキ ウシ チンパン
心霊運 タヌキ
愛情運 ドラゴン
詳しい鑑定は別の機会に譲ることにして、ここでは私達が一般的に抱いている 信長という人物 のイメージと彼がやり遂げた様々な出来事を、運命式の中から
検討してみたいと思います。
●<織田信長に対して私達が抱いているであろうイメージ>
激しい、短気、極端、恐ろしい、わがまま、尾張のうつけ者、明智光秀をいじめた、桶狭間の奇 跡的戦い、比叡山焼き討ち、将軍家追放、本能寺の変で焼死、
長篠の戦ではじめて鉄砲を軍 事的に使用、 よくもまあ、一人の人物がこれだけハードなことをやってのけたなと感心する
こと しきりなのです。まさに「下天のうちにくらぶれば、夢また幻の如くなり」
というわけです。
●<性格のイメージ>
激しい、短気、極端、恐ろしい、わがまま、尾張のうつけ者、こういうイメージは何が原動力とな って生まれてきたのかというと、運命式を見てみればわか
るように、愛情運にドラゴンがいるか らです。
愛情に対して非情に敏感で、常に自分が愛情を独占していなければならず、愛 情の中心点に いなければならないのです。もし、自分が愛されていないことが
わかるとそのエネルギーは、 すさまじい反動となって相手に向けられるように なります。その反対に、自分に愛情が向けられ て、愛されていることを実感し
ていれば、どこまでもそれに応えようとして強い味方になるので す。
このドラゴンが原動力となり、頑固さと戦略家とオーガナイザーと3つの顔を持つ人になるので す。
ですから信長という人は、わからない人であり、激しい人であり、魅力的な人であるのです。
●<尾張のうつけは偽装戦術>
当時の織田家中は、織田信秀亡き後ふたをしていた重石が取れて、何が起こっ ても不思議で ない状況にありました。そんな中で、尾張一国をまとめるには、
早く膿を出すのがよいというこ とで、馬鹿を装うことにしたのです。 ここには激しい戦略家信長の顔がよく現れています。
●<桶狭間の戦いは天佑か?>
偶然か奇跡か、たまたま運がよくて二千人の軍隊が、三万人とも五万人ともいわれる軍隊を破 っちゃった。というのが桶狭間の戦いではないのです。 如何に
小兵力で、大兵力の軍隊を 破るか?そのための戦略と戦術を駆使した戦いであ ったのです。
最初から今川義元の首だけを狙う、しかも、如何に実働兵力を最 小限に抑えるかという計算を しっかりとしているのです。
この戦いで彼は、桶狭間にて義元が休息中という情報を届けた武将を戦功第一 に挙げていま す。これなどは、情報という価値を初めて評価した武将ではなか
ったかと思います。
●<長篠の戦は、アイデアマンの面目躍如>
この当時、鉄砲というものは近代的な武器であったけれど、面倒な武器でもあ ったのです。そ れは、一発撃つと次の準備にものすごく時間がかかり、 武器と
しては軍隊で使うには問題が 多すぎたのです。この鉄砲を軍隊で、 戦略的に効 果的に使うことを研究してきたのが信長で あったのです。
最強の騎馬軍団を持つ武田軍に対して、弱小の歩兵部隊しか持たない織田軍団がどうして勝 つか?このことに答えを出し、歴史上はじめて鉄砲の価値を世に
知らしめたのが信長の長篠 の戦であったのです。これなどは、 アイデアマンの 仕事運を持ち、戦略家でもある信長のな せる業といってよいでしょう!
●<人材発掘にたけた信長>
既成の概念に捕らわれず、家柄にこだわらず、有能な人材を発掘できたのは何 故でしょうか ? 一つは尾張の軍隊が弱かったということ。これを強くするた
めには有能な指導者が必要で あったという事情もありますが、何よりも彼の人 気運は、目的と能力にあった人間関係を結ぶと いう特徴があるのです。これに
ドラゴンの力が加われば、家柄など虚飾は何の役にも立たず、 目的に合った能 力こそすべてと考えても不思議ではないでしょう!
●<苛烈な信長はいつ頃から?>
信長の持つドラゴンがいつ頃から悪さをはじめたのかというと、即ち信長の精神が異常な緊張 と、執拗なまでの追求と、冷酷な仕打ちはどうして行われるよ
うになったのか?ということです 。(信長様は変わってしまわれたのじゃ!)
それは、早くに父を亡くし、誰も理解者がなく、周囲が皆敵のような環境圏で、 極端に愛情に敏 感でありながら愛情を受けることができなかった信長が唯一心
を許し、その愛情を享受できた のが生駒の方という女性でありました。
この女性が信長の心をつないでいる間はよかったのですが、この女性が死んで しまいます。
このあたりから信長の精神がゆがんでくるようになったのです。
ドラゴンをつなぎとめておくことは大変です。
●<明智光秀は何故いじめられたか?>
彼は能力ある有能な人でしたが、自分に自信があり、尚且つ思い込み型の人で したから、そ の辺の所が信長の心情と目的からずれてしまうことが多かったの
だと思います。その例がよく 題材にされる、徳川家康のに対する接待を命じら れた時の出来事であるといわれます。当時 の信長にとってみれば、徳川家康が
どれほど重要な存在であったかは、その戦略性からみて も明らかなのです。
それを、彼は家康を研究して接待したのではなく、自分の知識と自分の伝統的 な価値観から 接待をしたのではないかと思います。これは接待の基本である「その人の為」を忘れてしまって いるので信長は激怒したのであると思います。
もちろん性格的に互いに相容れない要素はありましたでしょう。そういうこと が随所にあったか らなのだと考えられます。
●<将軍家追放、比叡山焼き討ちなど神仏を恐れぬ行為は?>
こんな人は歴史上いなかったというほどのことをやってのけたのが信長です。 比叡山の伽藍と いう伽藍を焼き滅ぼし、坊主を殺戮し、神仏に敵対したのです。
これは信長にも理屈はあったのです。この当時の比叡山は堕落しきっており( 立派な人もいた が)女人禁制のはずのお山に女性を囲う坊主がいて、 どうにも
ならない状態でした。
信長は天に代わって粛清したのです。でも、これは表向きの理由で、本当の所 信長は、自分 に刃向かう者を絶対に許しておけなかったからなのです。自分に
敵対するものは殲滅する。こ れは愛情の裏返しの憎悪の哲学なのです。ここに は許しも慈悲も愛もないのです。
愛を求めた信長が、結局たどり着いた彼岸は憎悪という心の地獄であったので す。
将軍を辞めるために生まれてきた将軍、足利義昭も信長の軍事力で将軍にして もらった時
は、自分の父親のようだと絶賛しながら、自分がただの傀儡だとわ かると、比叡山他全国の武 将達と手を結び反信長包囲網を作ろうとしたのです
から、信長からしてみれば、治安と秩序維 持のために必要であったから置いて いただけなのに、役に立たなくなればポイするのは当然 でしょう。
殺されなかっただけましと考えるほかありません。信長を見抜けなかったのも 最後の将軍義昭 の運命の炎が尽きた証拠であります。
●<憎悪は憎悪によって滅びる>
結局信長の苛烈なるドラゴンのエネルギーは、日本の大変革を成し遂げました。 しかし、その 動機は、憎悪という彼一流の哲学から出発したものに他なりませ
ん。
愛は愛を増幅しますが、憎悪ももっと憎しみを増大させるのです。憎悪によって得た栄華は、本 能寺で明智光秀の憎悪の野心によって滅ぼされてしまいまし
た。
そして、その明智光秀も動機が憎悪である以上、多くの武将からも民衆からも 支持されなく滅 んで行ったのです。
結局残るのは、ろうそくのように自らを燃やして周囲を照らす、愛の灯火では ないでしょうか?
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