(1) 吉法師
戦国時代にピリオドを打ち、新しい時代、平和への道しるべを開拓したのは、まぎれもなく街道一の弓取り、織田信長です。ではその信長はどうして天下統一への階段を登ることが出来たのでしょうか。また天下は信長から秀吉、家康へと引き継がれていきました。天下は結局信長から始まり、信長に最も関係の深い人達へと移っていったのです。
それは信長の運勢と深く係わりを持っています。そこで信長の幼少期からの運勢を見てみましょう。
信長は幼いころ吉法師と呼ばれていました。そして今でいう成人式(元服式)をして信長という名前に改名したのです。
<吉法師の運命式>
この運命式を見てすぐにわかることは表と裏、外面と内面がはっきりと違っていることです。そして本性を現すウシは信念、頑固、意固地を表します。
吉法師の外面を表す社会運は、信念型の本性に社会的性格は陽気で積極的、行動的になり人間関係も目的を持って付き合っていくというドライな型になります。また仕事の運勢も信念に基づいて、自信と見切りの良さでどんどんこなしていきます。
この社会運の明るさと裏腹に、家庭運の性格は人との関係を大切にしようとします。しかし問題は愛情運と心霊運です。
心霊運はヒツジのため非常に霊的、直感的で環境の影響を受けてしまいます。そして愛情運はキツネを持つため知的、比較能力にすぐれ、それでいて愛情に非常に敏感、細やかな愛情を必要としているのです。いつも愛に飢えているといっても過言ではありません。
信長の幼少期はこの愛情運と心霊運が運命を支配しました。これが元服後の信長へと引き継がれていきます。信長はこの時代に母親の愛情を受けませんでした。最も愛に敏感な運命を持った少年が母親の愛情を受けられなかったとすれば、そして霊的な直感力にすぐれ、環境の影響を直接受け、それらを自分の信念として持てるようになるとすれば、どんな少年になるのでしょうか。社会運はどんな影響を受けて、彼は社会的にどんな行
動に出るのでしょうか。
私達が知っている限り吉法師の信長は尾張の大うつけとして奇抜な行動を取るようになっていったのです。そして誰も彼の心情を理解する人はいませんでした。いや、たった一人平手政秀がいましたが、彼も真の信長の姿を知りませんでした。彼は大うつけと言われながらも目的のない人間関係は結んでいません。その行動力は信念に基づいていました。
<織田信長の運命式>
(2) 織田信長現わる
吉法師が元服して織田信長となりました。ここで彼の運命はどのように引き継がれたのでしょうか。先ず信長の運命式表を見て下さい。バッと見て一番の問題は愛情運がドラゴンということです。
信長にとって致命的なのはこのドラゴンが愛情運にあったということです。このドラゴンが愛情運にあると強烈な愛のとりこになります。愛情を欲してやみません。自分が常に愛の中心にいなければなりません。
自分を愛しているかいないか、敏感にすぐに感じ取ります。ですから自分をどんなに見ているかで信用の度合いが決まってしまいます。
極端な偏愛と嫉妬心が特徴となります。しかもこのドラゴンの影響は、人間関係を表す人気運、仕事運に直接影響を与えます。ここに信長という人間の特徴が強く現れています。ドラゴンは運命式全体を変えてしまう程の力を持つのです。
さて、信長はこの運命式でなぜ天下を取ることが出来たのでしょうか。ここに一人の人物を紹介しなければなりません。
(3) 木下藤吉郎は信長の運命式を変えた
<木下藤吉郎の運命式>
先ず人間の出会いが運命を変えるといいますが、信長と木下藤吉郎の場合はこの出会いが歴史を変えてしまったのだから大変です。
両者の運命式を見て下さい。総格チンパンで同じです。これは本性的には同じ世界を持つために、両者は実にうまく馬が合ったと思います。もって注目すべきは、藤吉郎は人気運がドラゴンであるということです。ここにもドラゴンの魔力が働いています。こういう運命を持った武将が尾張に出たことは天の配在としか考えられません。
このドラゴンが人気運にあると、変貌自在!どんな人間にも下から仕えて、それでいて自分の元に引き寄せてしまう強い力を持ちます。人のために生きざるを得ず、人に愛されざるを得ない人気運のドラゴンは信長との絶妙なコンビネーションを発揮しました。事実、藤吉郎は信長の出来ない部分を全部引き受けて、みごとに成功させてきました。また藤吉郎は「人たらしの天才」と秀吉に改名してからも言われました。それは本性チンパンの持つ人の和に、見切りの良さ、それに信念型の性格ウシが加わって、それらがドラゴンの持つ魔力をいっそう引き立てるからです。
天下への道は信長の愛情運ドラゴンの魔力と藤吉郎の人気運ドラゴンの魔力が実にうまく重なりあって出発したものと思います。
天が戦国時代の終焉をさせるためにこの二人を送ったのです。
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信長を取り巻く人間像……ここにもドラゴンの魔力があった
<今川義元の運命式>
(1) 今川義元
先ずは信長のデビュー戦である今川義元との戦いです。これはもう、信長−藤吉郎のドラゴンの魔力の前には全く力をなしません。義元の心霊運は情熱のライオンは極端な思いこみ型です。義元もなかなかの組織力を持ち、仕事運ヒツジでアイデア型の有能な武将ですが、あまりの大軍での上洛に、近隣在郷の名主から祝い酒を振る舞われ、もう勝ったと思いこんでしまったのです。
これも心霊運タヌキの信長の戦略)それにひきかえ信長、藤吉郎の本性チンパンの組織力、信長の心霊運タヌキの戦略性と、信長・藤吉郎ドラゴン連合の執念の前に、義元はうまくのせられてしまったのです。桶狭間の聞いで義元が破れたのは、信長という人間を知らなさすぎたのだと思います。 |
<斎藤道三の運命式>
(2) 斎藤道三
「まむし」と異名をとった戦国のきゅう雄斎藤道三、裸一貫から美濃一国の国主まで登りつめた運命式は抜群です。心霊運タヌキと本姓のチンパンは、深慮遠媒、深い洞察力と巧みな組織力を持ち、社会的性格はうまく人の輪を結び、それでいて人間関係は相手の出方を見ておだやかにまとめ、仕事は目的と理想を追求するライオン、更に心霊運タヌキは戦略型で策士で、それを仕事運に反映させることが出来ます。
しかしその道三よりも信長の運勢が一枚上手でした。信長と道三の運命式はよく似ているところがあって、両者は気が合ったと思います。道三は美濃一国を信長に譲り渡す書状をしたためていることからもわかります。
「英雄は英雄を知る」ということです。
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<浅井長政の運命式> <朝倉義景の運命式>
(3) 浅井・朝倉軍団
浅井長政の失敗は信長を裏切って朝倉と手を結んだことです。浅井長政ほどの武将であれば朝倉が凡将なのは見抜いていたと思います。ですから信長と手を結んで戦国を積極的に生きようとしたと思いますが、城内をまとめられず長政個人の見識よりも長政の父親など、多勢に押し切られての裏切りと思います。
長政個人は非常に男性的で有能、決断力もあり、しかも深く物事の本質を見抜くことを知っています。
人気運のドラゴンは外交において変貌自在、智恵の働きは素晴らしかったと思います。
仕事運の情熱型のライオンは自ら仕事に目的を持って行かねばならぬ運勢なのに、浅井−朝倉の歴史的関係に、朝倉の人情に流されやすい心霊運のチンパンと大まかな性格が働いて、結局城内の多数の意見に押されてしまったことが運勢をなくした原因と思われます。
この裏切りに信長の愛情運のドラゴンは怒り心頭に達します。その現れが戦いに勝利した後に長政のシャレコウベで杯を作らせたことです。ドラゴンの魔力、執念の恐ろしさを感じさせます。最も愛した者に対する裏切りはものすごいエネルギーとなって陰に陽にぶつけられるのです。
<足利義昭の運命式>
(4) 最後の将軍足利義昭
室町幕府第一五代将軍、最後の将軍です。この人の運命式を見ると、まるで将軍らしくないのです。将軍をやめるために生まれてきたような運命式を持っています。
まず第一に本性キツネは真面目で神経質、線が細く、心霊運、愛情運共にキツネでこれまた線が細く、緊張感に包まれていないと愛情も自分も生き甲斐を感じないのです。家庭内性格ドラゴンは極端な依存型とおせっかい型の同居した好き嫌いの激しい性格ですから、これは周りの人々が大変です。それに本性のキツネが作用して線が細い人になってしまいます。そのくせ仕事面ではプライドと意地を張りたがり、何か自分の成果を出そうと躍起になります。人気運トラは人に命令して威張りたがるという、中身のないのに将軍面するという凡くら男になってしまいます。これでは"信長ならずともバイバイ"と言いたくなるわけです。
将軍義昭は、信長に将軍の位置をつけてもらったときなどいたく感動して信長を父と呼び、しばらくすると信長憎しと全国の武将に手紙を送って反信長戦線を張ろうという具合なのです。足利将軍家も代を重ねるごとに功労を失って、最後はこんな人間が出てくるようになったわけです。
<明智光秀の運命式>
(5) 信長を許せなかった傲慢人間、明智光秀
信長は人格Bのチンパンに表されるように、その風貌はやさしく女性的です。しかし心霊運のタヌキは戦略型で、一筋縄ではいきません。それに仕事運のヒツジはアイデア型で、斬新さがあります。そして組織に人をつなげる力を持つ本姓のチンパン、目的に徹する外交、それらが相まって信長の戦い方はすさまじいものになります。それらは皆愛情運がドラゴンの魔力が働いています。ドラゴンを動機として出発した力は既成の概念にとらわれず、独自の世界を型づくっていきます。さらに信長のこの運命式を助けるように、信長の周りには優秀な武将がたくさんいたのでした。
ところでその中の一人である明智光秀は何故裏切ったのでしょうか。いろいろな原因がとりざたされていますが、そのひとつ、光秀が天下に対する野心があってそれが忘れられなかったなどは、それは将軍義昭を信長に引き合わせたのが光秀ですから、野心がなかったといえば嘘になるでしょう。また信長にさんざんいじめられて日頃より信長を恨んでいたとか、武士として恥ずかしめを受けたとか、取り上げればいくらでも材料は出てくるでしょう。そこで明智光秀の運命式からこの光秀のとった行動を考えてみましょう。
まず彼の社会面での性格は思いつき、思いこみ型のライオンに自分がいつも一番でなければならないトラが合わさって、人には鼻持ちならない人間に写るでしょう!
この性格に加えて人気運のウシは頑固で、自分の考えにあった人間としか付き合わないところがあります。仕事運はタヌキですから、自分の将来や今後の経営について先を見ながら進めなければならないのですが、思いこんだら何が何でも自分流でなければならない性格は、仕事においても自分の一流を通そうとするところが、信長には気に入らなかったに相違ありません。信長からいじめられたなどの逸話は、既成の概念を認めない憎悪の激しい信長ドラゴンのなせる技ですが、光秀は自分が一番である強烈な世界とそれを裏付ける教養や既成の価値観が十分にありました。そこが叩かれたのです。彼の一番の内容を示す武器が信長には気に入らなかったのです。
彼は"本能寺の変"の時は、この時の状況を突然のチャンスと考えたのです。何故そのように考えたのでしょうか。武将であるならば居城を失っても中国攻めの先鋒であることは将来を約束されたと考えてもよいのに、光秀は反対に信長殺害のチャンスと考えてしまったのです。何故でしょうか。これは光秀の心霊運である情熱のライオンが大きく影響しています。思いこんで目的を定めてしまったらもうそれしか頭の中にはないのです。それに本来自分が一番えらいと思っている光秀は、それを認めようとしない信長に大きな不満を抱いていたのです。これは光秀に関するこれまでの説明からおわかりいただけると思います。また、既存の価値の集大成である比叡山焼き討ちも大きな動機となっていたのに違いありません。
こういう状況の中で、光秀の中には信長に対する深い不信感が芽生えたのです。そして中国攻めの先鋒と居城没収は光秀の思考回路からは全くはずれたものでした。こういう辞令を受けたとき、光秀は比叡山焼き討ちの光景が眼前に現われ、自分の将来が信長によって目茶苦茶になる不安に襲われたに違いありません。そんなときにおとずれた千載一隅のチャンス、光秀は思いこんでしまった違いありません。この時しかない、今しかないと確信の動機を持ったのです。もし光秀がもう少し客観的に情勢を判断して中国攻めに参加していたら、歴史が変わっていたに違いありません。光秀の思いこみと保守的な教養、それに彼の自分が一番であるという自己中心的な性格が結びついて本能寺の変は決断されたのです。
己を知らぬ者の末路は哀れです。三日天下は光秀の最後に放った光彩でした。
<武田晴信の運命式>
(6) 武田信玄
信玄が晴信と呼ばれていた頃、父信虎の横暴に嫌気がさした家臣達は晴信をかついで、信虎を北条氏へ人質として追い出してしまいました。そして晴信は父を追い出したあと武田家臣団を見事にまとめ、天下に向かって進み始めたのです。そして京を目指しつつその途中で病に倒れて死んだとあります。
次に武田家を相続したのは勝瀬でした。結局は彼が武田家を滅ぼしていくのです。
この名門武田家の軌跡をたどってみることにしましょう。ここにもドラゴンの魔力が働いていることに気がつきます。
先ず武田晴信の運命式を見てみましょう。すぐに気がつくことは人格ABが共にウシになっています。こういう関係は人生を無意味にしてしまう意味があるため、この線を持つ人は人生を左右する重大な事件に遭遇することになります。事実、晴信は実の父親を燐国の北条氏に出してしまいました。
次に人気運にドラゴンがいます。この人気運のドラゴンがいればこそ、晴信はむづかしい武田の家臣達をまとめることができたのです。武田の家臣達は皆独立心の強い小領主、豪族の集まりだからです。このような武士集団をまとめることは容易には出来ません。ドラゴンの魔力があったればこそです。武田氏には当時の戦国に代表されるような山城はありません。
簡単な館があっただけです。それは甲州が山に囲まれた天然の要害であったばかりでなく、頑固な人のつながりがあったからです。まさに 「人は石垣、人は城」というわけです。
晴信は本性的には人の和を大切にする人情的な性格ですが、社会面に現れるときは非常に神経質か細かくて、自分を気にする人になります。家庭面では、心霊運のキツネの細かさと思いこみの強い主体性が性格となって表れるようになります。愛情運タヌキは優しさとか思いやりに愛情を感じます。
心霊的には非常に細かく神経を使って、いつも緊張状態に置かれています。この張り詰めた心霊的な緊張感と気配り、そして人気運ドラゴンの卓越した外交力は武田家の力を大きく広げることに役立ちます。
愛情運は真面目で思いやりの愛ですから、心霊運の緊張感、家庭内性格の主体性、それに人格A、Bのバッティング関係から考えると、正妻である三条の娘の強い態度には我慢がならなかったのではないのでしょうか。これが武田家の運命を狂わせていく大きな原因になっていくのです。
晴信は諏訪一族を滅ぼしてその娘を側女にしてしまいます。
普通に考えても自分の父母を殺した男の嫁になるということば、これは到底考えられない心情の世界です。このことが正妻と長男太郎の離反、勝頼により武田家の滅亡へとつながっていくのです。この勝頼は晴信によって滅ぼされた諏訪一族の末えいなのです。まさに因縁を感じます。
この晴信の世界が次に信玄へと移っていくのです。
信玄の運命式を見てみましょう。
<武田信玄の運命式>
入道して信玄を号するようになってからは、本性は人情的で人の和を作る組織型から本性ウシの信念を中心としての気配り型に変化します。性格は家庭内性格が情熱の思いこみ型からチンパンの人情的で人間的な性格へと変化します。愛情運キツネは細やかさと気配りに愛情を感じるようになります。
一番の問題点は心霊運と仕事運にドラゴンがいることです。
これは、仕事運が心霊運の大きな影響を直接受けることを意味しますし、先祖的な影響をとても大きく受けることをも意味しているのです。
心霊運そのものにドラゴンがいることが問題なのに、心霊運と仕事運にドラゴンがいて互いに影響しあっていることは、鬼門の位置にあるドラゴンによって、霊界の悪い働きが大きく現れて問題を引き起こすことになるのです。
先ず自分の息子が反逆し、これを切腹させてしまいます。これは魔のドラゴンに悪霊が働き、信玄の神経質な愛情運が土台となって様々な掃疑心、葛藤を起こさせて、正妻の三条の娘との間の子(長男太郎)の裏切りになっていくのです。また信玄の戦い上手も、このドラゴンの霊的インスピレーションによるところが大きいと思います。信玄が志半ばで病に倒れたのも霊的作用と思います。信玄の領土拡大の野心が大きな恨みを買い、それが霊的な作用力を持つ信玄に大きく働いた結果と考えられます。
<武田信玄は何故倒れたのか?>
■武田信玄とは?
超有名なので、今更説明してもと思いますが、念のために簡単に!
名門武田家は、源氏の正統な流れをくみます。武田信玄とは、入道して信玄と号するようになったのですが、まだ信玄が晴信と呼ばれていた頃、武田家は父の信虎が治めていました。この信虎さん、あまりの戦好きで、家臣たちはほとほと嫌気がさしていたのでした。何故かって言うと、信虎の行う戦は、いくら戦っても領土の拡大にはならないし、出費は多いしと、まあ家臣の側からいえば無理からぬことではありますが?
そこで、何かと父親と仲の悪かった晴信を家臣たちは担ぎ出して、信虎を隣国の北条氏へ人質に出してしまったのであります。もちろん、それなりの生活費は武田方で面倒見るからという話はついていたんですが!(追い出さなければ、
晴信が廃嫡されて殺されるかもしれなかった状況)
父親を追い出してからの晴信は元気いっぱい。武田家臣団を見事に治め天下に向かって進み始めたのでした。そして、皆様も知っている通り、京を目指しつつその途中で病?に倒れ、武田家を相続した勝頼が結局の所、名門武田家を滅ぼしていくことになるのです。
(ここに至るにはそれはそれは複雑な家系の重なる事情があったのです。こういう話はまた機会があるならばしたいと思います)
そこで、当の武田晴信はどんな運命式であったのでしょうか?
<武田晴信の運命式>
社会的性格 キツネ チンパン トラ
人気運 ドラゴン
仕事運 ウシ
家庭内性格 キツネ ライオン チンパン
心霊運 キツネ
愛情運 タヌキ
●先ずこの運命式を見て気が付くことは、(動物の図式では出てこない)人生を無意味にする暗示があることです。こういう暗示を持つ人は、人生を左右する重大な事件に遭遇することになります。事実、晴信は武田家の内紛と、自らの去就問題を合わせて実の父親を北条氏に追出しています。(殺さなかったのは晴信らしさです)
武田の家臣団は、その伝統からとても難しいのです。皆独立心の強い小領主、豪族の集まりですから、こういう武士集団をまとめるのは一筋縄ではできないのです。また"人は石垣、人は城"というように頑固な人のつながりがあって複雑なのです。
こういう中では、晴信の人気運ドラゴンは力を発揮します。人の海の中を卓越した能力で泳ぎきっていきます。
晴信自信は、本性的には人の和を大切にする信念型の人ですが、その社会的性格は細かく神経質で、それでいて親分型に出てきます。
しかしながら、それらが人間関係の面では実に巧妙に、人を取り入っていきますし、仕事の面では、仕事運にあるようにちゃんとした実績を作っていきます。
家庭内性格は、思いこみ型で細かく、神経を使っていつも緊張状態に置かれています。
それにひきかえ、愛情運は誠実で思いやりのある優しい人を好きになります。
こういう晴信では、正妻の三条の方の態度には我慢がならなかったのではないでしょうか?この辺の愛情問題は、晴信自信の運命を狂わしていきます。
晴信は諏訪一族を滅ぼして(領主を毒殺)その娘を側女にしてしまいます。普通に考えても、自分の父母を殺した男の女になるなんて考えられますか?(たとえ戦国の世でもです)
こういうことが正妻三条の方と長男太郎の離反、謀反へとつながっていくのです。そして、勝頼(諏訪一族の末裔)が信玄の後を継ぎ、武田家を滅ぼすのです。
こうして武田家は、信玄によってその運命が大きく変転していくことになります。
<武田晴信から武田信玄へ運命の転換>
武田晴信は、入道(たてまえ上の出家)して信玄を号するようになりました。そして、名前を信玄と号することによって、その運命は大きく変転するようになったのです。それでは、信玄となった運命式を見てみましょう。
<武田信玄の運命式>
社会的性格 ドラゴン ウシ ドラゴン
人気運 タヌキ
仕事運 ドラゴン
家庭内性格 ドラゴン チンパン ウシ
心霊運 ドラゴン
愛情運 キツネ
●何がどう変わっちゃたのかというと、その本性は、和を求める信念型から信念を中心とした頑固な気配り型に変わります。また、社会的性格は、頑固で細かい親部分型の要素に心霊的に非情に不安定な要素(何を考えているかわからない、非情に直感的な要素)が加わります。
人気運は人の内面を見つめた付き合いをするようになります。仕事運は十字架を背負うようになります。
家庭内性格は、これも心霊的に不安定な要素をもちながら(何を考えているかわからない、非情に直感的な要素)人情的な人のよい面と、自分の信念に忠実な頑固な面を併せ持ちます。愛情運は、知的な細かい気配り型に愛を感じます。
しかしながら、信玄という人間について回るのは、この性格的な要素よりも、心霊運と仕事運のドラゴンです。このドラゴンは、信玄という人間をベールに包み、なおかつ、その戦略と戦術において超人的な卓越した能力を示し、同時に先祖の霊界影響を直接的に受けるようになるということです。
こうして、信玄を号するようになって、大きく霊界の影響を受けるようになります。そして、自分の諸行による善悪の報いを霊界から受けるようになったのです。
先ず、自分の息子太郎が反逆し、これを切腹させてしまいます。ここには、様々な恨みや猜疑心の霊界が働いているのです。そして何よりも、領土拡大の野心により、諏訪一族を毒殺によって滅ぼし、その娘を側女にしてしまうなど、天倫に違反する行為を平気で働きました。
こういうことが様々原因となって、悪なる見えない力が信玄を蝕んでいったのです。そして、憧れの京への進軍という絶頂の時を迎えつつ、志半ばで倒れてしまったのです。どんなに素晴らしく見えても、どんなに強く見えても、その行為が天倫に違反するようになると、運命はその人の絶頂期に最も惨めな終わりを告げるのです。
<黒田孝高の運命式> <荒木村重の運命式>
(7) 黒田孝高(如水)と荒木村重
私達がよく知っているとおり、黒田官兵衛は羽柴秀吉の名参謀として有名です。信長が本能寺の変で殺された後、秀吉の天下獲りの第一歩であった中国大返しは官兵衛孝高の献策と決断があればこそ出来たと言われています。
このように常に秀吉の側にあって軍師の役目を果たした官兵衛孝高とはどんな人物であったのでしょうか。先ず黒田孝高の運命式を見てみましょう。信長と同じように愛情運に魔のドラゴンがいます。従って彼は愛憎激しく、そのエネルギーは全ての運勢を過烈な方向へと導く力を持っています。
本性はトラで男性的積極的で命令的ですが、人気運、心霊運共にタヌキを備えているのは彼が並々ならぬ作戦家、謀略家、それも自分の為の謀略家ということです。信長のような位置になかった彼は、軍師への道を選びました。官兵衛は自分の立てた軍略の素晴らしさに酔いました。領土、名誉欲よりも自分の軍略の素晴らしさに愛着を感じたのです。
自分が軍略に優れていると思っている彼は、信長を裏切った荒木村重のところへ説得に行って牢に入れられてしまいました。彼は解放されるまでの長い年月、牢の中でじっと耐え忍びました。彼を支えたその執念は愛情運ドラゴンの成せる業と思います。
さて一方の荒木村重はなぜ信長を裏切るようになってしまったのでしょうか。村重の運命式を見てみましょう。先ずドラゴンが人気運にあり、並外れた外交手腕を持っていることを証明しています。秀吉もこのドラゴンを持っています。
しかし村重は本性キツネで細かく神経質、心霊運はウシで頑固一徹。頑固で細かい守り型の性格では、信長の愛情運ドラゴンのすさまじい陽的な魔力の前に、彼はドラゴンの人気運の力を陰的に使ってしまいました。それが信長への反旗という形となって現れたのです。孝高と村重、孝高の運命は村重のドラゴンの陰的な運勢に引き寄せられ、牢へつながれるようになったのです。
<上杉景勝の運命式> <上杉景虎の運命式>
(8) 上杉影勝と影虎
上杉謙信が卒中で突然に倒れて以後、上杉家の名蹟を継ぐのは影勝か影虎かということになったのです。謙信が存命中に後継者問題には触れないでいたため、突然に倒れてしまった後はこのどちらかが継がねばならないわけです。そこで跡目争いになりました。
この時いち早く名乗りをあげて外交作戦に出たのは影勝です。そして勝利を手にしたのは景勝でした。それは人気運ドラゴンによる外向的手腕がそうさせたと思います。
景虎の方は人気運タヌキ、心霊運タヌキで本性はトラですから、自分に都合のいい戦略家です。この戦いは上杉内部の戦いですから、外交戦が大きな力を持っています。戦略家であった景虎も、景勝のドラゴンの外交力の前には時を逸してしまったものと思います。それに景虎の方は北条氏出身という血統的なハンディーもあったものと思われます。
<前田犬千代の運命式> <前田利家の運命式>
(9) 前田犬千代から前田利家へ
前田利家といえば加賀百万国の創業者として、また信長、秀吉、家康と仕えて戦国をかけぬけ、常に大きな力を発揮してきたことはあまりにも有名です。その前田利家は犬千代と呼ばれた少年時代からドラゴンの影響を受けていました。犬千代時代は木下藤吉郎ととても仲が良かったと言われています。
二人とも信長の寵愛を受けていたのですが、小姓仲間のいざこざから同じ小姓の一人を決闘で切り殺してしまいました。信長お気に入りの小姓を決闘とはいえ殺してしまったわけですからただではすみません。城を抜け出して逃げていたのですが、許されて信長のもとに再び戻ることができました。それも藤吉郎の働きによって桶狭間の戦いに犬千代を導き、犬千代は大変な戦働きをしました。そこで信長の機嫌も直り帰参することができるようになったのです。犬千代も藤吉郎も人気運ドラゴンで互いに助け合ったのではないかと思われます。
利家に名前が変わると愛情運ドラゴンが登場してきます。これはまた信長と同じかと思えばちょっと違います。それは利家が妻のお松殿を限りなく愛していたからです。信長のように愛の反動力が働いたのではなく、利家はお松殿をこよなく愛し、お松殿も利家を夫としてたのみにしていました。この賢い妻を持ったおかげで利家のドラゴンの魔力は反動的に現れず、正当な力として各運勢に作用するようになったのです。
加賀百万国はこのような利家の持つ大きな運勢の力で誕生するようになったのです。真にドラゴンの大きさを思い知らされます。
<織田信長の運命式> <前田利家の運命式>
(9-1) 織田信長と前田利家
信長と利家
信長という人は暴君で破壊者というイメージが強いし、利家は加賀百万石の創設者というイメージで定着していることと思います。はたしてそうでしょうか
?
そうは言っても、信長は比叡山延暦寺を焼き討ちして、坊主を皆殺しにしているし、なんといっても明智光秀をいじめて、妹の旦那浅井長政のドクロで作った杯を持ってこさせ、それを明智光秀に飲ませたなどと、語ればきりがありません。
でも、一方では楽市楽座を始めたりして創造的なことをしているし、桶狭間の電撃的な勝利は見事というよりほかにありません。でも、本能寺の変であの世に行っちゃいました。
そういう信長の配下にあって、秀吉の陰に隠れて目立たないけれども、気がついてみると加賀百万石を領して、居並ぶ戦国大名の中で確固たる地位を築き、加賀百万石文化の礎を築いた男になったのです。
全然格が違うようですけど、そういう信長と利家を比較してみることもおもしろいと思います。
●そこで、彼らの運命式を観てみましょう!
<織田信長の運命式>
社会的性格 タヌキ チンパン トラ
人気運 ライオン
仕事運 ヒツジ
家庭内性格 タヌキ ウシ チンパン
心霊運 タヌキ
愛情運 ドラゴン
流運30才頃まで 人気運キツネ仕事運ヒツジ心霊運トラ愛情運キツネ
45才頃まで 人気運タヌキ仕事運チンパン心霊運ウシ愛情運タヌキ
60才頃まで 人気運キツネ仕事運ヒツジ心霊運トラ愛情運キツネ
<前田利家の運命式>
社会的性格 タヌキ ライオン チンパン
人気運 チンパン
仕事運 ライオン
家庭内性格 タヌキ ウシ ライオン
心霊運 タヌキ
愛情運 ドラゴン
流運30才頃まで 人気運ライオン仕事運タヌキ心霊運トラ愛情運キツネ
45才頃まで 人気運ウシ仕事運トラ心霊運キツネ愛情運カメ
60才頃まで 人気運ライオン仕事運タヌキ心霊運トラ愛情運キツネ
●この二人運命式は全く違うように見えますが、実は隠れキャラがあってそれは実によく似ているのです。どういうことかといいますと、内面的な世界でこの二人は双子の兄弟のようによく似たところがあるというのです。
それでは、この二人の全く対照的な人生の結末はどうしてなのでしょうか?
その秘密は、女にあり! というわけです。
「なんだ、戦国の武将で妾のない人なんて希有ですから、女の一人や二人当たり前でしょう」とお思いの方は、その恐ろしさを知らない方です。別に、女性が怖いという訳じゃあなくて、この二人に共通していることは、一人の女性が運命を決めたということなのです。
そのことが、結果的に日本の歴史に影響を与えてしまったのです。
そういう影響力を女性が持っていたということなのです。
●「陽と陰の相対的関係」ちょっと難しい言葉だけど、要するに男と女の出会い、結びつき、付き合い方といったことなんだけど、これが大変な力を発揮したということなのです。
どうしてかというと、この二人が共通して愛情運にドラゴンを持っていたということなのです。
●愛情運にドラゴンを持っているということはどういうことかというと、このドラゴンは運命式に方向付けをする決定的なエンジンになっちゃったということなのです。
このドラゴン、地に潜れば龍となって悪さをし、天に昇れば恵みの雨を降らしてくれるというように、天国にも地獄にも通じるのです。
その違いは、変わらない愛情を受け続けられるかどうかということなのです。
もし、裏切られれば、その恨みは末代まで、その執着は終生たえることなくどこまでも続くという恐ろしいけれども、素晴らしいエネルギーを持っているのです。そういうドラゴンを愛情運に持った信長と利家ですが、
信長には、「生駒のお方」という女性がおりましたし、利家には「おまつ」がおりました。
そのまま行けば、この二人、功なり名を遂げてそれなりの武将で終わったかもしれません。しかし、歴史を司る運命の神は、この二人のドラゴンにくさびを打ち込んだのです。
「生駒の方」が途中で病死してしまったのです。
ここから信長のドラゴンは地獄と化し、利家のドラゴンは天国への道を進むようになってしまったのです。
●このドラゴン、語り尽くすことのできない内容を持つのですが、よく言われ
る桶狭間の戦いの勝利は、奇跡でも偶然でもありません。これは実に計算され尽くした信長の戦略の大勝利なのです。決して蛮勇でもなく、たまたま運が良かったというわけでもありません。孤独な信長の知恵の戦いに天が見方をし、雷鳴をとどろかせたのです。
それほど戦略的なのです。
三千の兵が五万の兵にどうやって戦い勝利するか?
誰もが無謀と思われる戦いは、自分の故郷を蹂躙されることを彼のドラゴンは許さなかったのです。
籠城か野戦か!その戦略を誰にも証さず揺れる人心を掌握し(籠城か野戦か戦略がはっきりすれば、彼我の戦力差から保身のために内通するものが必ず出る)、藤吉郎をみそ買いに走らせて、今川軍には籠城と思わせ隙を作り、五万の兵を実質三千の兵にどうやってするか秘策を練ったのです。
それが桶狭間へとつながったのです。その証拠に、桶狭間の勝利の褒賞は今川の首を取った武将ではなく、今川軍が桶狭間で休息中という情報を伝えた武将に与えられたのです。
●信長は情報というものの価値を知り抜いた武将だったのです。
その信長の戦略性は心霊運タヌキ、奇抜なアイデアは仕事運ヒツジ、明らかに今川有利という中にあっての、地元住民の織田軍への協力という組織力は、彼の家庭内性格にその秘密があります。
この時期、彼の流運は孤独なリーダーを暗示しています。
何にもまして彼のドラゴンは、その強烈な光を放とうとしていたのです。しかし、その光が闇の光になろうとは誰が想像し得たでしょうか?
●歴史を司る神は、桶狭間以後運命のカードを投じようとしていました。「生駒の方」が亡くなったのです。ここから彼のドラゴンは暗闇に光を放つ闇のドラゴンへと変身を遂げていくようになります。
信長の本当の恐ろしさは、桶狭間以後決してその勝利におぼれなかったということです。何よりも最強の敵武田信玄に対しては、外交的に勝利していることです。それは彼が本当に戦略の何かを知っているからなのです。力で勝利しながらその力に頼らず、外交の戦いへと転換できるのも、ドラゴンと彼の戦略性のなせる技でありましょう!
●その間利家のドラゴンはどうしていたのでしょうか?
信長の桶狭間の戦いの時には、彼は信長のどうほう衆を決闘とはいえ切ってしまったことにより勘当の身でありました。まつに支えられながら、彼のドラゴンは未だその光を放ってはいません。
勘当の身を解いてほしいその一途さは、彼の仕事運がライオンであることを物語っています。そして、浪々の身である利家を支えたのは、まつの変わらぬ愛情もそうですが、彼の人気運がチンパンであることが大きな影響を持っています。何よりも彼の社会的な性格が人との関わりなしには成り立たなかったらです。信長と異なるところは、彼はパートナー型の性格を持っていたということなのです。
そして、何よりも彼はこの時期、信長の戦を外から眺め、その戦略性や戦い方など多くを学んだということです。また、一人深く物事を考え、書物にふれ人生の経営を考えたといわれています。これが彼の大きな心の糧になったのです。
そして、まつに支えられた利家の天国のドラゴンがその光を放ち始めるのは、信長という闇のドラゴンがその陰光を放つことの終焉を遂げた本能寺の変から始まるのです。
●"闇はその光に勝つことはできないのです"
乱世の中で、生き抜くことは大変ですけれど、乱世であればこそ特異なエネルギーを持った人がその光を放つのです。彼らは平時では事件を起こしてその人生を棒に振っていたかもしれません。そういう意味では、時代と環境の相対圏に立つものがその光彩を放つことになるというのも真実なのです。
現代も、ある意味では時代の終末を思わせる乱世なのかもしれません。こういう時こそ、天国のドラゴンを持つ人に活躍してほしいものです。
歴史を司る神が、誰かを準備しているはずです。それは、あなたかもしれません?
<石田三成の運命式> <島勝猛の運命式>
(10) 島勝猛と石田三成
義昭将軍と並んで乱世の終わりを飾る武将がいました。 かの有名な石田三成です。彼の運命式を見てみ
ましょう!
<石田三成の運命式>
社会的性格 チンパン キツネ ゾウ
人気運 ウシ
仕事運 トラ
家庭内性格 チンパン キツネ キツネ
心霊運 チンパン
愛情運 チンパン
これを見ると、チンパンとキツネが多いことがわかります。ということは、猿知恵が働いた? うーん! さもありなんというところでしょうか?
三成は凡将です。ただ本性キツネの持つ気配りだけで出世した武将です。
石田三成は、戦働きで大名になったのではなく、秀吉の官僚として、事務能力に優れていたので出世したというのです。
まあ、秀吉が三成を見出したエピソードはあまりに有名です。
秀吉が三成を見出したのは、まだ三成が小坊主をしていた頃、寺に立ち寄った秀吉にお茶を出したのです。このことに感心した秀吉が三成を側に置いて育てたといわれています。
この運命式を見てもわかるように、彼は気配りと負けん気の強さだけで伸びてきたのです。ですから歴戦の勇者とうまくいくわけがありません。秀吉の威を借りた行動は誰から見ても面白いわけがないのです。秀吉なき後、豊臣恩顧の他の武将より三成が殺されそうになったことからもわかります。
確かに人情もあり、知恵もありの人ですが、仕事の運勢を見てみますと、どう もトラの威を借りた猫ならぬキツネというところでしょうか! 秀吉の名ゆえにえばり散らす所があったように思います。これでは、秀吉亡き後歴戦の勇者とうまくいくはずがありません。
本人は秀吉と人情的に結ばれていても、その仕事振りはトラの威を借りたキツ ネというわけですから、彼が秀吉亡き後どんなに秀吉に恩義を感じて、反徳川
戦線を張ろうとしても、 歴戦の勇者達は面白いはずがありません。朝鮮の役では彼の故に要らぬ苦労ば かりさせられてきたのですから!
このことは、秀吉恩顧の歴戦の勇者達が、反徳川戦線を張る光秀に反対して徳 川方についたことでも明白です。
彼の人気運も、頑固に自分の意地にこだわったために、本当に三成の友となり うる人は少なかったと思います。
まあ、こういう男が関が原の天下分け目の大戦を仕掛けていくようになるには、 相当の準備が必要でありました。
天下の情勢は、徳川によってどうも三成が利用させられたという気はします。
それだけ徳川は狡猾であったということがいえますが!
島勝猛といってもわかりにくい方もおられると思いますが、島左近といえば「あー」と納得いかれると患います。石田三成の家老が島左近なのです。
この三成が関が原の大戦を仕掛けていくのですが、これは背後に島左近がいたからです。島なくして石田三成の挙兵はあり得ませんでした。
「三成に過ぎたるもの二つあり、一つは佐和山城、一つは島左近」
と言われたほどの人物です。三成は島が浪人していたとき懇請して側近にしたといわれています。 さて、この二人の運命式を見てみましょう。一目瞭然、島はさすがに有能な武将です。
天下の情勢を知恵だけで乗り切ろうとした三成には、島左近という傑出した人物が必要で した。彼がいなければ、凡将三成で終わっていたと思います。
島左近(勝猛)という男、その指導力と外交能力は卓越したものがあったと思
われます。
<島勝猛の運命式>
社会的性格 チンパン チンパン ライオン
人気運 ドラゴン
仕事運 トラ
家庭内性格 チンパン トラ チンパン
心霊運 チンパン
愛情運 トラ
この人チンパンとトラが多いでしょう! ですから、人生、粋に感じて行動しちゃう人なんです。この人、最初三成と手を組むの嫌がってたんですけど、三
成の三顧の礼に感じちゃって、三成の家老になるんです。
さて、この島の運命式を見てみましょう。先ずは総格チンパンで本性は人情的な組織型、社会的性格は人との和を保とうとします。仕事運トラは積極自己開拓で親分型、人気運はドラゴンで卓越した外交作戦能力を持ち、このドラゴンがしっかりと生かされる本性チンパンと心霊運チンパンは幅広い人脈をつくります。
この人の人気運は、さすがに外交能力がありました。
島なくして三成の外交は成り立たなかったでしょう。
しかしながら、三 成を表に立てての外交では、思うにことが運びません。関が原の天下分け目の戦いでの西軍の敗北は、三成親分の人徳のなさが、その敗北の遠因になっているのは間違いありません。
関が原敗北の遠因はこんなところにあったのではないかと思います。そして島の人格ABのヒツジとヒツジの関係は滅びの暗示です。
島勝猛は凡将三成と組んで自身の滅びの道を選択してしまったのです。
「歴史の皮肉は、それぞれの個性が天下泰平に向かってそのドラマを演じてい
ることを物語っています。さて、自分という個性は歴史の中で、どんなドラマを演じているのでしょうか? ちょっと考えてみるのも一興かと思うのですが!どんなドラマになるのやら?」
天下をとる名前、滅ぼす名前
<木下藤吉郎の運命式> <羽柴秀吉の運命式>
(11) 木下藤吉郎と羽柴秀吉で天下を統一する
秀吉を語る場合、信長を語らずして秀吉を語ることは出来ないのです。
秀吉は信長という人間の強烈な力に引っ張られ、これを支えるような形で勢力を伸ばしてきました。そこで秀吉という人間の人生路程と名前の影響を調べてみたいと思います。
● 木下藤吉郎
・信長に仕え桶狭間の戦いに参加、信長の馬の口をとる。
・美濃攻めで一夜城に成功する。(墨俣城)
・稲葉山城落城に功をたてる。
・浅井、朝倉との聞いで姉川決戦のあと近江長浜城主となる。このとき信長の重
鎮であった丹羽長秀と柴田勝家の羽と柴をもらい羽柴秀吉と改名する。
● 羽柴秀吉
・各地を転戦し、高松城水攻めのとき信長が本能寺の変で倒れる。
・山崎の決戦で明智光秀を打ち破る。
・柴田勝家を滅ぼす。
・大阪城の築城を始める。
・小牧、家康と会見。
・50歳 関白太政大臣−豊臣秀吉に改姓。
● 豊臣秀吉
・小田原攻め、北条氏滅亡。
・ 54歳 天下統一、朝鮮戦争始める
・63歳 秀吉死亡。
一人前の大名として独立するまでの藤吉郎は信長と表裏一体、まさに分身のような働きとみてよいわけです。
信長の運命式と比較してみるとよくわかります。先ず本性チンパンで同じです。これは本質的に同じ世界を持ち、まず組織の力を形成し、まとめる求心力になります。馬が合うといった方がいいでしょう!
信長の愛情運ドラゴンが及ぼす力が全ての運勢にふりかかります。人気運ライオンは目的観念に徹した徹底した合理主義的関係になり、社会的性格は戦略型ですが、人の和と組織を考えます。思索にふける心霊運タヌキはどこまでも深く、仕事運はヒツジで、深く思索された裏付けに基づくアイデアや工夫になって現れます。
そんな信長を藤吉郎は人気運ドラゴンによって情報収集と外交の天才的能力で信長の目的型のライオンをを補佐し、信長のアイデア型の仕事運は藤吉郎の仕事運ライオンの目的に力を提供します。
信長タヌキの心霊運は深い思索の中にありますが、藤吉郎の心霊運ウシはこれに信念と力を与える天性の明るさを持っています。
戦国に幕を閉じた信長の力は藤吉郎なくして発揮することはなかったでしょう。
さて、この藤吉郎、大名になって独立し羽柴姓を名乗るようになるとどうなるでしょうか。運命式を見て下さい。
ドラゴンが仕事運と愛情運にいます。そして、心霊運はキツネで、本性はタヌキと来ています。ここから秀吉は単なる調子の良い信長の部下ということから変身します。愛情運ドラゴンが中心となって、信長軍団で一番の人間は自分だと思うようになります。
そして、このドラゴンの力は心霊運と本性のキツネとタヌキに大きな作用をし、知恵の秀吉の本領を発揮するようになります。しかし、内部の敵を多く作るという仕事運ドラゴンの十字架の運命は避けて通ることは出来ないのですが、知恵の力と愛情運ドラゴンの力は、この十字架を乗り越えることが出来るのです。
秀吉の作戦が、人を殺さないで戦いに勝利する彼独自のやり方はこんなところから出てくると思われます。(高松城の地形を利用した水攻めなどはよい例です)
信長が倒れると、彼の心霊運の知恵とドラゴンの魔力は中国大返しをやってのけ、明智光秀を滅ぼしてしまいます。秀吉は信長の作った土台の上で、まるで信長の亡霊に守られるかの如く並いる武将を押し退け、天下を統一して関白豊臣秀吉となったのでした。
<豊臣秀吉の運命式>
(12) 豊臣の姓を賜って天下の運勢を失う
この運命式を見てガッカリします。これでは天下の仕置きをすることはできません。
天下太平とはいえない乱世が、このときまではまだ続いているのです。そんな時に、ドラゴンの運勢が彼から消えてしまっているのです。時の朝廷の謀略かとも思える改名なのです。
彼の運命式は、心霊運タヌキ、本性トラ、仕事運ウシとなって、まさに自分の欲望を満たす為に、何でも利用しようとするクモ男に変身してしまったのです。それでいて、愛情運のヒツジは愛されたい症候群なのです。
仕事運のウシは何事かなさんとする運勢ですが、天下を取った秀吉は動機が傲慢になり、自分のことだけしか考えなくなります。
羽柴時代まで持っていたドラゴンの魔力の前には天と地の差があります。
ましてや側近に石田光成など凡将がいるようでは豊臣政権は先が見えていたと思います。周りには徳川家康、伊達政宗など深慮遠媒形の武将がいっぱいいるわけですから、この運命式で豊臣政権が耐えられるはずがありません。
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