お早うございます。
折角の花見の好機が雨で・・と考えるのか、それともこの雨で桜の花もちょっと一段落して良いときがまた出てくるかな?と思うかで、心が騒ぐのかそれとも落ち着いて春の瞬くような時を楽しむかの違いが出てきますね!
この前福井県に行きまして、思わぬ渋滞に巻き込まれました。待ち合わせの時間に間に合わないと焦っている自分と、ありのように長い長い人の列が続く光景にふと面白さを感じました。その蟻のような行列は、満開の桜を目指して歩く福井県民の姿でした。
一方は焦る自分、対極にさくらに酔いしれる福井県民がいます。あとから振り返ってみますと、その時心の貧しい自分がいたな思いました。
「さくらは見る人の心映えである」と肝に銘じました。
(遠山)
〜成功脳を考える〜
★理解されたいと思っている間は成功できない
ほとんどすべての人が自分を理解して欲しいと思っている。だから、何とか自己のアピールを一生懸命になる。その結果、人に対する押しつけのおしゃべりになってしまうことが多い。
自分が社会的な地位が上にあると、気がつかない間に相手に自分のことばかりしゃべっていつの間にか押しつけとなっていることが多い。
だから、嫌われていることも気がつかない。何故かというと相手はとにかく尊重して聞く姿勢を崩さないからだ。すると、それが自分は理解されていて相手は自分のことを知っているので、大丈夫だろうという油断につながる。
どうしたら、本当に相手を理解できるかということであるが、これはある程度時間が必要なこともある。しかし、理解されたければ、先ず相手を理解することから始めなさいということがよくいわれる。
実は理解することも理解されることも同じということなのだ。
これは理解すると理解されるというのは、互いにパラドックスのような関係に見えるのだが、そうではなくて、理解されることと理解することは、単なる順序性の問題だけなのだ。
ここに法則性があることが分かる。
実は「愛」も同じなのだ。愛されたいということと愛するということだ。
どんな人も生まれた瞬間から持っている心の動機がある。それは「愛されたい」「理解されたい」という衝動を持っているということである。
この衝動を上手くコントロールできないことから人の悲劇は始まる。
人が成長することで学ばなければならないことは、この法則性としての順序だ。
先ず第一は「相手を理解すること」「相手を愛すること」に努力とリソースの集中をすることだ。
第二は「理解されること」「愛されること」なのだが、これは必要ない。
何故ならば、第一の「相手を理解すること」「相手を愛すること」を進めていくと、自然に「相手を理解すること」「相手を愛すること」が実現していくようになるということだ。
先ずは自分の心に相手のことをもっと知りたいという動機が生まれれば、それで半分は成功したといえるかもしれない。 |