読売ジョブサーチ
■◇不屈のひみつ
失敗には慣れています
ツカサグループ代表
川又三智彦(さちひこ)さん
「失敗は、様々な要因が絡み合って起きるのだから、自分を責めても仕方
ない。反省する暇があったら、今後の目標を定めるべきです」
1947年、栃木県生まれ。賃貸オフィスを主力に、月決め賃貸マンシ
ョンや介護・福祉、情報サービスなどの事業を展開している。
「ヨンヨンマルマルワンワンワン――♪」。
電話番号を民謡調の節回しに乗せたコマーシャルソングが、深夜テレビ
から流れてくる。あか抜けないが、親しみやすいCMで「ウィークリーマ
ンション」の知名度は一気に上がった。バブル前夜の1985年、「ツカ
サ」の快進撃が始まった。
「ウィークリーマンション」は、家具付きの短期賃貸というスタイルが
出張族や外国人らに受け、CMで人気爆発。90年のはじめには、都内に
3600室を抱えるまでになっていた。社長の川又三智彦は、「私自身は
軽乗用車に乗り、借家住まい。実につつましい暮らしでした」というが、
「資産1000億円」と週刊誌に書かれた。
バブル期のさなか、転売を繰り返し、極限まで価格がつり上がった物件
を「融資するから買って欲しい」と銀行に頭を下げられた。
「高い買い物なのは分かってました。でも、うちならうまく運用できる
と思った」
借り入れは1400億円に達したが、買い取った土地に次々とマンショ
ンを建て、さらに躍進するはずだった。だが、追い風は突然止まった。
90年3月、地価高騰を抑えるため、大蔵省(当時)が不動産業への融
資の総量を規制する通達を出した。取引のあったすべての銀行が手のひら
を返し、融資を打ち切った。
ゼネコンに建設費を払えない。工事がストップすれば、すべて水の泡だ
が、担当者は、「建物が完成すれば利益が生まれるのだから、支払いは待
ちましょう」と言ってくれた。「この恩は忘れない。そして、いつか銀行
を見返してやる」。そう心に誓った。
バブル崩壊後は地価が暴落し、資産を売っても焼け石に水。ウィークリ
ーマンション事業まで売却した。しかし、川又の腹は据わっていた。
「幼稚園になじめず、3か月で退園した時から挫折の連続で、失敗には
慣れています。それに、お金なら、また稼ぐことができますから」
ゼネコンに恩返し
現在は、都内14か所に展開する賃貸オフィスが事業の柱だ。銀行の債
権放棄もあって、借金完済のめどが立った。
バブルの傷跡は深く、今も各地で買い手のつかない土地が放置されてい
る。「これらを有効利用できれば、ゼネコンへの恩返しになる。銀行をも
助けることになり、自分なりの“復讐(ふくしゅう)”が果たせるのでは」
。そんな思いから生まれたのが、静岡県伊東市で計画を進めているテーマ
パーク「伊豆・昭和30年代村」だ。
「懐かしい街並みを再現し、そこで実際に人々が暮らす。子供やお年寄
りが昭和の雰囲気を演出するパフォーマーになるんですよ」と川又が目を
輝かせる。むしろ、こういう人のことを「挫折を知らない」と言うのでは
と思った。
(敬称略)
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今日のニュースは、インターネット上で掲載されるニュースの中から、その
日の出来事を簡単に占い的に分析をするものです。ですから、事件の内容や
様々ないきさつに言及するものではなく、純粋に運命式からそういうような
事件や出来事に関わるような可能性について簡単に説明するものです。即興
的な文章ですから、その辺を加味してお読みくださればありがたく思います。
◆全く世の中は、変な事件ばかりで、だんだん記事にすることに疲れてし
まう。ちょうど、読売のジョブサーチに企業家の紹介が載っていたので、
今回はその方を取り上げてみた。
ツカサグループ代表川又三智彦(さちひこ)さんです。
不動産業を営み、バブル崩壊の痛みを持ちつつやっと見えてきたところま
で頑張ってきた方です。賃貸オフィスを主力に、月決め賃貸マンションや
介護・福祉、情報サービスなどの事業を展開、次への希望やアイデアを忘
れない方です。
川又三智彦(60)さんはこんなふうにいってます。
「失敗は、様々な要因が絡み合って起きるのだから、自分を責めても仕方
ない。反省する暇があったら、今後の目標を定めるべきです」
最もひどい仕打ちを社会から受けながら、それでもめげずに歩んできた川
又三智彦(60)さんの占い運命式を見てみましょう!
<川又三智彦(60)さんの占い運命式>
26 5 20 17 11
24 29 17
27 24 26 9 17
「幼稚園になじめず、3か月で退園した時から挫折の連続」と自らをおっ
しゃっていますが、頑固な緻密さは人一倍強かったのではないかと思いま
す。
だから、自分の持つ価値観とか考え方が自分の世界を造り、その自分の
「こうあるべきだワールド」に入らなければ妥協しないというそういう頑
固さであるはずです。それが小さいときから何となく現れているから周囲
と合わなくなるということはあるのです。
それに、仕事運はアイデア型の仕事をしますから、自分の仕事に対する想
いがちゃんとなってアイデアになるようになるのです。決して俺に付いて
こい型のリーダーではありませんが、知的なアイデアを実現するしっかり
とした信念を持ち合わせていることは、社会での成功の大きな力になりま
す。
バブル崩壊という試練にも負けなかったことは、こういう彼の特質すべき
性格の要素が強く働いた音思います。それに、この試練を乗り切るだけの
アイデアが彼には与えられたからです。
決して環境的に恵まれているときでも今はありませんが、緻密なアイデア
があれば次への道は必ず開けると思います。それを川又三智彦(60)さ
んは物語っています。
「懐かしい街並みを再現し、そこで実際に人々が暮らす。子供やお年寄り
が昭和の雰囲気を演出するパフォーマーになるんですよ」
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