◇不屈のひみつ
●アイロンだこ 自立の原点
渡辺正太郎(わたなべ・しょうたろう)さん
りそなホールディングス社外取締役
「自分がりそなを変えてみせるという自負で取締役会にのぞんでいる。富士山への登山に例えれば、ようやく5合目まで来たところだ」=池谷美帆撮影
1936年東京生まれ。60年早大第一商学部卒、花王石鹸(現花王)入社。2000年、副社長で退任。経済同友会専務理事などを経て03年からりそなホールディングス社外取締役。
貧しさ恨まず
花王の副社長から財界活動に転じ、現在は伊勢丹、りそなホールディングスの社外取締役などを務める。渡辺正太郎の多彩な活躍の原点は、右の手のひらに今も残る「アイロンだこ」だという。
終戦後、縫製職人だった父を手伝って家計を支えた。現在のアイロンと異なり、当時のアイロンは体の重みでかけた。作業で手のひらに強い力がかかった。たこはどんどん大きくなった。
懸命に働いたが、小遣いももらえなかった。でも貧しさを恨んだことはない。「環境を素直に受け入れる性格だから」。高校3年生からは家庭教師を始め、大学の学費は自分で稼いだ。
大学卒業時には就職難。企業の募集は少なく、大学の就職課の薦めで花王石鹸(せっけん)(現花王)に入った。
入社後は経理に配属され、「良い会社にしたい」との一心で働いた。すると、これまでの苦労が花咲く。38歳で財務担当の取締役になった。
1980年代、花王は洗顔料「ビオレ」やスプーン1杯で洗える洗剤「アタック」など新商品を次々に発売する。渡辺はこの時代、畑違いのマーケティング戦略を任された。
そこで、販売の現場から消費者の声を集め、徹底的に商品づくりに反映させた。今では商品開発に欠かせない手法だが、この仕組みをいち早く作り上げた。売り出す商品はことごとくヒットし、その功績から52歳で副社長に昇格。有力な社長候補とも見られるようになった。
結局、副社長を12年間勤め64歳で花王を退職する。そして、専務のころから会員になっていた経済同友会の活動に力を入れることにした。
今度は病気が追い打ちをかける。前立腺がんが見つかったのだ。初期のがんだったが、「体力も気力も落ち込み、頭もうまく働かなくなった」。同友会から副代表幹事就任を打診されたが、「迷惑をかける」と一度は断った。
しかし、元代表幹事の牛尾治朗や当時の代表幹事小林陽太郎に口説かれた。「やるしかない」と就任を受け入れた。02年から4年間は専務理事も兼務した。
りそな再建に力
財界での活躍をきっかけに、社外取締役への就任要請も舞い込むようになる。02年に伊勢丹、03年にはりそなの社外取締役に就任した。りそなでは、「銀行には顧客本位の発想が欠けていた」と、経営の立て直しに、顧客の声に耳を傾け続けた花王での経験を生かしている。
今でも、貧しかった子供のころのことを時折、思い出す。「人に頼らず自立することの大切さを学んだ。どんな道も自分で切り開いていける」。社長の夢やぶれた後の活躍は、そんな自信に支えられているに違いない。
(敬称略)向野晋
★経営は創造の3か条
@強い競争相手なくして企業の発展はあり得ない。
よい商品は競争の中でこそ創造される。
A経営者は新しいことへの挑戦が何よりも好きでなければならない。
それが企業価値への創造につながる。
B幸運な一回の成功に安住してはならない
次の成功に向けた新しい気持ちで創造する。
(2007年6月4日 読売新聞)
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今日のニュースは、インターネット上で掲載されるニュースの中から、その
日の出来事を簡単に占い的に分析をするものです。ですから、事件の内容や
様々ないきさつに言及するものではなく、純粋に運命式からそういうような
事件や出来事に関わるような可能性について簡単に説明するものです。即興
的な文章ですから、その辺を加味してお読みくださればありがたく思います。
◆「アイロンだこ 自立の原点」は渡辺正太郎さんの強い運勢を表している。
終戦後、縫製職人だった父を手伝って家計を支えた。現在のアイロンと異なり、当時のアイロンは体の重みでかけた。作業で手のひらに強い力がかかった。たこはどんどん大きくなった。
懸命に働いたが、小遣いももらえなかった。でも貧しさを恨んだことはない。「環境を素直に受け入れる性格だから」。高校3年生からは家庭教師を始め、大学の学費は自分で稼いだ。
大学卒業時には就職難。企業の募集は少なく、大学の就職課の薦めで花王石鹸(せっけん)(現花王)に入った。
入社後は経理に配属され、「良い会社にしたい」との一心で働いた。すると、これまでの苦労が花咲く。38歳で財務担当の取締役になった。
渡辺正太郎(わたなべ・しょうたろう)さんの運命式を出してみよう!
<渡辺正太郎(わたなべ・しょうたろう)さんの占い運命式>
26 17 26
25 35 14
30 18 23
19 21 11 11 10 12 11 11
16 16 15 17 16 16 15 17
渡辺正太郎さんの経営の考え方は次のようである。
★経営は創造の3か条
@強い競争相手なくして企業の発展はあり得ない。
よい商品は競争の中でこそ創造される。
A経営者は新しいことへの挑戦が何よりも好きでなければならない。
それが企業価値への創造につながる。
B幸運な一回の成功に安住してはならない
次の成功に向けた新しい気持ちで創造する。
経営者として、こういう考え方をしっかりと通すことができるのは、それだけ渡辺正太郎さんという人が、強い生き方を貫いてきたからに他ならない。
渡辺正太郎さんがこういう運命式を持っていなければ、当然花王の副社長にまで離れなかったかも知れないのだ。
いったいどこが強い運命式なのか?
先ずは性格である。小さいころ貧しかったので、縫製の仕事を手伝って頑張ったとある。渡辺正太郎さんの性格は、家庭内では強くて自分の考えがはっきりしていて、その上相手のことを考える優しさを持っている。
それが、社会面で仕事上に現れると、明るくて男らしいのだが、物事をしっかりと考えて準備する仕事ができる人になるのである。
強くてしっかりして自分に厳しいのに、人には優しいところがあるので、ぐんぐん人をリードする指揮官型の経営者ではないから、人を押しのけるような気持ちは強くない。そこが人から頼られたり信頼される要素なのだ。
彼の流運(15年周期の運勢)を見ると、全体的にいい運勢の流れをしている。特に、38才で財務担当の取締役になったころの運勢は、いい運勢をしている。この頃は、しっかりと価値観があって、それに基づいて、アイデアがどんどん出てくるような運勢期にある。人にも明るくていいときではなかったかと思う。
52才で副社長になると、ここでも目的指向型のいい仕事運になっている。だから、本体の運勢と併せて長く副社長でいられたのだと思う。
64才で退任後、今なお社外取締役で経済界で頑張れるのは、この時期の仕事運が情熱型の目的志向から来るところが大きい。それにこの時期の価値観も安定して、今までの積み重ねが生きるときに来ているのだ。
余談だが、いい人の運命式を見ていると、こちらまでも気分がよくなるから不思議である。渡辺正太郎さん!まだまだ頑張れる運勢をしている。 |