●園児2人殺害事件、鄭被告に死刑を求刑
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2007年09月18日
滋賀県長浜市で昨年2月、同市立神照(かみてる)幼稚園児の武友若奈ちゃん(当時5)と佐野迅(じん)ちゃん(同)を幼稚園に車で送る途中に刺殺したとして、殺人などの罪に問われた鄭永善(ていえいぜん)被告(35)の論告求刑公判が18日午前、大津地裁(長井秀典裁判長)で開かれた。検察側は「何の罪もない未来ある幼児2人を無慈悲にも殺害し、犯情は重大悪質。遺族らの処罰感情も極めて峻烈(しゅんれつ)で反省の情もない。完全責任能力も認められる」と述べ、鄭被告に死刑を求刑した。
鄭被告は今年2月の初公判で「刺したのは砂人形。殺人ではない」などと起訴事実を否認。その後、人を刺したことは認めたが、「2人は元気だ」などと供述していた。責任能力の有無が最大の争点になっている。
論告などによると、鄭被告は昨年2月17日午前9時ごろ、同市相撲(すまい)町の農道に止めた乗用車内で、若奈ちゃんと迅ちゃんを刺し身包丁(刃渡り約21センチ)で刺し、出血性ショックにより殺害したとされる。幼稚園はグループ通園制をとっており、2人は鄭被告の長女と同じグループで、当日は鄭被告が送迎の当番だった。
検察側は論告で、鄭被告について「精神鑑定で指摘された統合失調症の症状は犯行時になく、人格障害であった可能性がある」と指摘。(1)事件当日、自宅の3本の包丁のうち、最も鋭利な刺し身包丁を選び、逃走資金を用意していた(2)犯行後、包丁を隠した上、車を正常に運転した(3)逮捕後、犯行状況について具体的に供述した――などから「完全責任能力を有していた」と主張した。
動機についても、長女が他の園児にいじめられていると一方的に邪推し、自分が中国人だから仲間外れにされているとの被害者意識があったと指摘。園児らに対する憎悪を増幅させたとした。
公判は午後、弁護側の最終弁論があり、結審する。判決言い渡しは10月16日に予定されている。
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今日のニュースは、インターネット上で掲載されるニュースの中から、その
日の出来事を簡単に占い的に分析をするものです。ですから、事件の内容や
様々ないきさつに言及するものではなく、純粋に運命式からそういうような
事件や出来事に関わるような可能性について簡単に説明するものです。即興
的な文章ですから、その辺を加味してお読みくださればありがたく思います。
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◆中国から慣れない日本に嫁に来たとはいえ、本人の資質が問題
「滋賀県長浜市で昨年2月、同市立神照(かみてる)幼稚園児の武友若奈ちゃん(当時5)と佐野迅(じん)ちゃん(同)を幼稚園に車で送る途中に刺殺したとして、殺人などの罪に問われた鄭永善(ていえいぜん)被告(35)の論告求刑公判が18日午前、大津地裁(長井秀典裁判長)で開かれた。検察側は「何の罪もない未来ある幼児2人を無慈悲にも殺害し、犯情は重大悪質。遺族らの処罰感情も極めて峻烈(しゅんれつ)で反省の情もない。完全責任能力も認められる」と述べ、鄭被告に死刑を求刑した。」
これは誰がみても、死刑というのが当然のひどい犯行だ。
全く情状酌量の余地はないと思う。
たとい中国から嫁に来て、慣れない環境の中で生活していて不便を感じていても、園児二人を送る途中で殺害するとは、全く人間のすることではない。
この事件で、中国人全部がこんな人間が多いと思われたら、かえって迷惑な話ではないか?
外国で暮らしながら、一生懸命その国にとけ込んで頑張っている人が多くいるのに、そういう人たちにも、また中国から嫁に来ている人たちも多くいるであろうに、この鄭永善(ていえいぜん)被告(35)のせいで、結局皆が被害を被っているといえる。
この鄭永善(ていえいぜん)被告(35)は何故こんな事件をおこしてしまったのであろうか?
占い的な観点で、この鄭永善(ていえいぜん)被告(35)を分析してみたいと思う。
鄭永善(ていえいぜん)被告(35)の運命式をみてみよう!
<鄭永善(ていえいぜん)被告(35)の占い運命式>
28 16 21
13 33 20
18 17 32
<鄭永善(ていえいぜん)被告(35)の流運>
13 9
15 17
鄭永善(ていえいぜん)被告(35)は、占い運命式的にみれば、男のような運命式をしている。
ただ問題点は愛情運にあるかも知れない。
★猜疑心の塊から問題がおこったのでは・・・・
鄭永善(ていえいぜん)被告(35)の運命式をみると、女性にしておくよりは男にした方がいい運命式ではないかと思ってしまう。
そのくらい、男であればちゃんと仕事ができる人になったであろうと思われる。
ただ鄭永善(ていえいぜん)被告(35)の場合は、これが悪い方向にでてしまった。いい意味では、物事をしっかり考えて先読みができるのに、これが反対の方向にでると、猜疑心が強く自己中心的で自分のことしか考えない。そして、自分の仕事に対してはあまりにも狭い範囲で一途になってしまうところがあるのである。
家の中では結構頑固でもある。ただ、弱点は愛されたい人で、本当はいろいろとみんなから愛情をもらいたくている人なのだが、それを表面に出せない強すぎる性格をしている。だから、皆から誤解をされる。すると、それは自分に対する悪口であるとか、様々な妄想を膨らませる要素を鄭永善(ていえいぜん)被告(35)はもっているのである。
誰とも打ち解けることができなければ、そういう猜疑心と妄想は限りなく発展することになる。
この事件の背景には、外国で暮らすことの難しさと、その際に必要な資質というものも考えさせられてしまう。
●・・・ひとこと・・・
善の循環サイクルというのがある。いわゆるペイフォワードだ。人間というものは、この善の循環サイクルというよりは、ほっておけば「悪の循環サイクル」を築きやすいものなのだ。だから、善の努力をし続けるということが、自分にとっても社会にとってもいいことになる。
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