●キャリアインタビュー 左手だけでも奏でたい
舘野泉(たての・いずみ)さん
ピアニスト
1936年東京生まれ。東京芸術大を首席で卒業。64年からフィンランド・ヘルシンキに在住。世界各国で行ったコンサートは3000回を超す。「左手の文庫募金」の活動もしている。東京でのコンサートは、6月28日・東京文化会館、7月1日・サントリーホールなど。公式ホームページ http://www.izumi‐tateno.com
国際的なピアニストとして活躍していた2002年、フィンランドでの演奏中に脳出血で倒れ、半身不随に。右手にはマヒが残った。しかし、リハビリを重ねるうちに左手だけで弾く楽譜に出合い、「左手のピアニスト」として復活を果たす。
倒れたのは65歳の時です。演奏会で最後の曲を弾いていて、ラスト2分のところで右手がだんだんと動かなくなりました。最終的には右手が止まってしまい、左手だけでどうにか弾き終えました。その後、ステージ上で倒れたのです。
病気をしたことでショックだとか、深く思い詰めたりはしませんでした。2か月入院しましたが、「今までやってきたことはどうなるだろう」と、絶望もしませんでした。
でも、六十数年間、ピアノを弾くことに関わってきたので、家に帰ったらピアノに触るのが当たり前。息をするのと同様、私にとって一番大事なことでした。家でリハビリのつもりでピアノを毎日1時間練習しましたが、いくらやっても何の進歩もありません。自分の意思とは違う、勝手な所に手が行ってしまうのです。1年半練習を続けましたが変化はなく、「これはダメだ」と思いました。
そんな時、バイオリニストである息子が留学先のシカゴから帰国し、左手で弾く楽譜を持ってきてくれました。「弾いてみたら?」とは言わず、ただピアノの上に置いてくれて…。
そこで、一人になった時、譜面を開いて弾いてみました。その瞬間、ひらめいたようにわかったのです。「あっ、これはちゃんと人に伝えることが出来る音楽だ。1本の手で弾こうと、2本の手で弾こうと変わりはない」と。
「これで演奏会に復帰できる」と、作曲家の方々に左手のための曲を作ってくれるよう頼み、倒れてから2年半後、リサイタルで復帰しました。
またピアニストとしてやっていくと決めた時、周囲に賛成してくれる人はいませんでした。でも、そんなことはどうでも良かった。病気で演奏が出来なくなっても、「好き」という気持ちはとても強かったので、周りが何と言おうと続けていくのが当たり前だと。反対されようが、大事なものはある。ハンデは、もしかすると周囲が作っている「常識の壁」ではないでしょうか。
「左手の音楽」をもっと多くの人に広め、聞いてもらいたい。そして、再来年あたり、左手のためのピアノコンクールを開催したいと考えています。(談)
(2009年6月12日 読売新聞)
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今日のニュースは、インターネット上で掲載されるニュースの中から、その
ニュースを占い的に分析をするものです。ですから、事件や出来事の内容や
様々ないきさつに言及するものではなく、純粋に運命式からそういうような
事件や出来事に関わるような可能性について簡単に説明するものです。即興
的な文章ですから、その辺を加味してお読みくださればありがたく思います。
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■ピアニストとして大成し、運勢のいいとき・・・
「国際的なピアニストとして活躍していた2002年、フィンランドでの演奏中に脳出血で倒れ、半身不随に。右手にはマヒが残った。」
しかし、リハビリを重ねるうちに左手だけで弾く楽譜に出合い、「左手のピアニスト」として復活を果たす。
倒れたのは65歳の時です。演奏会で最後の曲を弾いていて、ラスト2分のところで右手がだんだんと動かなくなりました。最終的には右手が止まってしまい、左手だけでどうにか弾き終えました。その後、ステージ上で倒れたのです。
★天が与えた試練という賜
神様は時にいたずらをして人間を試すことがあるらしい!舘野さんの場合もそうだと思える。全く予期せぬ脳出血という異常な事態に遭遇した。しかも演奏中である。死んでしまえば、それは戦死ということになるのだろうが、そうではなく、生かされて障害を背負うという事態に遭遇した。それでも、ピアノから逃げることはしなかったところがすごい。
同じようにピアノに向かっても、すでに戻らない指先になっていたということだ。ここで普通はあきらめてしまうのに、それでも何かがあると求め続けた・・・。そして天啓が・・・。
★舘野 泉さんの運命式をみてみよう!
<舘野 泉さん(73)の運命式>
28 27 36
17 37 20
27 10 21
<舘野 泉さん(73)の流運>
19 13 9 8 25 19 9 17
13 21 8 11 19 18 17 11
やっぱり一流の人はついているといえる。どうしてかというと、運命式をみれば、舘野 泉さんがただの芸術的な感性だけでここまで北天才肌かというと、そうではなくて、日頃の練習とたゆまない努力が自分の自然なスタイルになって生活の中に入っていることが分かる。その分性格は頑固だ。自分をしっかりと持っているといえる。妥協はない。そこがいいところなのかも知れない。
しかも基本スタイルという型の持った世界は変わらないのに、心情的な世界はとても芸術性あふれる繊細さを持ち合わせているのだ。
そういう一流としての資質があるからこそ、次のステージを神様が準備したのかも知れない。
その時がやってきた。病で倒れるときなのだ。しかし、その準備されたステージは終わりを告げてはいなかった。なぜならば、最も運勢的に強い力のある時に病になったのである。だからこそ、負ける気がしなかったのだと思う。それだからこそ、閃光の如くひらめきが与えられたということだ。
左手のピアニストの誕生だ。運勢的にはここ2年を過ぎるくらいからもっと芸術的には深い心情世界に入ってくるようになるのではないかと思う。
神様は様々な形で不思議なプレゼントを下さるものだ。
人生というのは、ちゃんと前を向いていれば楽しいものということを教えられる。
●・・・ひとこと・・・
舘野 泉さんは芸術家にみられるよくある不安定さは感じられない。人が何かを成し遂げるというのは、積み重ねてきた自分のスタイルというものをどのくらい信じられるかということだろう!こういう人からは学ばなければならないことがいくらでもある。 |