●不屈のひみつ・・・光の美 歌を取り戻す力に
芹洋子(せり・ようこ)さん
歌手
1951年、大阪府東大阪市生まれ。高校を卒業して上京、歌手デビュー。「四季の歌」「坊がつる讃歌」「鈴の音山河」などのヒットで知られる唱歌、童謡、叙情歌の第一人者。
春を愛する人は心が清く、夏が好きな人は心が強い――あの「四季の歌」を日本中に広めた女性歌手には、その歌ばかりか一切の持ち歌を忘れた体験がある。1991年。季節が春から夏へと移るころだった。
◆事故 記憶に欠落
その日、東京・文京区にある専属レコード会社の式典に出席して、歌手活動20年を迎える自身の表彰を受けた後、横断歩道を渡っているとオートバイにはねられ、頭を強打。そこで記憶は途絶え1週間後、奇跡的に意識を回復したが、曲を何も思い出せない。かわいそうな“歌を忘れたカナリヤ”を、しかし天は見捨てなかった。
楽譜を見れば歌えるし、音感にも声にも問題はない。自分が歌っていたという歌を懸命に一から覚え直した。凄絶(せいぜつ)な日々だったろうが「今でも記憶に欠けた部分があって時々、人に失礼があるかもしれません」と言う本人は、当時をこう振り返る。「それまでの自分がゴソッと抜けて生まれ変わった感じ。新しい自分への期待も湧(わ)いて、得した気分を味わいました」
20代、30代は公私共に順風満帆だったといえる。仕事は多忙を極め、81年には中国・北京で日本人初の国賓女性歌手として公演。その年に所属プロダクションの社長と結婚し、翌年には母となった。40歳を迎えた直後の災難では天職を失わずに済んだものの、不安は残った。体調を崩しやすい。声が出なくなりそうな怯(おび)えを感じる。
◆ステンドグラス
「歌以外に何か一つ身につけたい」と、手芸や工芸の作品展を訪ね回るうちに出合ったのが「ステンドグラス」だった。神秘的な光の美しさに心を奪われただけではなく壊れやすいガラスのもろさが、弱い自分に重ね合わされた。やがて千葉県市川市の工房に通い詰めるようになり、腕前はプロの作家級といわれるまでに上達した。
ガラスを一片ずつ、切る。削る。色を付ける。何百日もかけて、慎重に組み立てる。「完成して明かりをともした瞬間、予想もしなかった色が現れます。一緒に学ぶ仲間とも、いろんな出会いがあって勉強になりました」。3年前からは自分の小さな工房も持っている。
事故当時は小学3年生だった一人娘の亞美(あみ)さんが、今はマネジャーを務める。「12月21日に青山劇場で『デュークエイセス&芹洋子コンサート』があります。ひとことPRしてもらえませんか」と頼もしい。
根気の要るステンドグラス作りは育児に似ています、と母親は言う。初めて取材した15年前のゆかしい言葉を思い出した。「打ち上げ花火みたいに注目される曲よりも、地下水のように人の心を浸す歌を歌っていきたいのです」
(永井一顕)
(2009年11月2日 読売新聞)
------------------------------------------
今日のニュースは、インターネット上で掲載されるニュースの中から、その
ニュースを占い的に分析をするものです。ですから、事件や出来事の内容や
様々ないきさつに言及するものではなく、純粋に運命式からそういうような
事件や出来事に関わるような可能性について簡単に説明するものです。即興
的な文章ですから、その辺を加味してお読みくださればありがたく思います。
-------------------------------------------
■芹洋子という芸名の運命式が良かった
「春を愛する人は心が清く、夏が好きな人は心が強い――あの「四季の歌」を日本中に広めた女性歌手には、その歌ばかりか一切の持ち歌を忘れた体験がある。1991年。季節が春から夏へと移るころだった。」
「その日、東京・文京区にある専属レコード会社の式典に出席して、歌手活動20年を迎える自身の表彰を受けた後、横断歩道を渡っているとオートバイにはねられ、頭を強打。そこで記憶は途絶え1週間後、奇跡的に意識を回復したが、曲を何も思い出せない。かわいそうな“歌を忘れたカナリヤ”を、しかし天は見捨てなかった。」
芹洋子さんといえばその歌声に、みんながあこがれたものです。ちょうど私たちの年代は、何かがあれば四季の歌を歌ったものです。その芹洋子さんがすごい重大事故に遭っていたなんて思いもよりませんでした。
しかし、奇跡的な回復を遂げていたということはとても嬉しいことですし、そんな事故に遭いながらもどうして奇跡的な復帰ができたのでしょうか?
その秘密を運命式の中から読み取ることができればいいなと思います。
★芹洋子さんの運命式をみてみよう!
<芹洋子さん(1951年3月10日生)の運命式>
11 8 17
4 20 16
13 12 19
<芹洋子さんの流運>
14 11 14 11 14 11 14 11
7 13 16 13 16 13 16 13
◆芹洋子さんについて
芹洋子さんの運命式を見ますと、この方はとても強い方なのですが、その強さを見せないで、人には柔軟に対応して、人間関係でも自分のよきパートナーを選ぶようになります。
それに仕事では、しっかりと仕事の結果を出すようないい運勢を持っていていますが、それはこだわるというよりは、自分の強い意志と主体性があって、それでも相手にどこまでも合わせながらという姿勢は変わりません。
そういうところが芹洋子さんの魅力ということになります。
家庭的にはとても女性的な性格と男性的な強さがいいバランスで同居しているので、また家庭的な性格を持っているので、いいお母さんになれるということです。それに、愛情表現は細やかな愛情を示します。
◆試練
神は人生に試練を与える。とはよくいわれます。誰しも人生のどこかで様々な試練を迎えてそれを克服していてこそ、栄光を掴んでいることが多いのです。
芹洋子さんも40歳の時に、交通事故で意識不明に陥りました。
そんな運勢を果たして持っているのだろうか?
本体の運命式や流運をみてみましても、それらしき弱点は見あたりません。
むしろ、安定した運勢を維持しているといった方がいいと思います。
それでは何故、こんな事故に遭ってしまったのだろうか?
実は事故後の経過を見てみますと、意識不明で脳に打撃を受けたにもかかわらず、歌は忘れていなかったのです。楽譜を見れば分かるし、音感にも問題はなかったのです。
これはよくある「神の試練」だなと思いました。
何故かというと、運命式の本体のバランスはとてもいいバランスをしているし、流運では安定した運勢の流れを示しているからです。
考えられることは、芹洋子という人間をもう一度根底から作り直してやろうという「天の計画」ということになります。
この時から、芹洋子さんという芸名を持った1人の歌手が新しく生まれ変わったということです。
そしてステンドグラスという芸術と出会い、芹洋子さんの世界はもっと大きな拡がりを見せたのです。
●・・・ひとこと・・・
事件や出来事を試練としてとらえられる人と、それを自分のダメージとしてとらえてしまう人ではその後の人生が大きく変わってしまう。何故ならば、試練というのはその人を鍛えようとする神の意志がそこに現れているからである。芹洋子さんという人間がもっともっと素晴らしくなるために必要なプロセスであったということが結果論的に言える。でもそれは、事件や事故を試練ととらえたからこそ言えることである。試練としてとらえる心構えがあなたにはありますか? |