●◇キャリアインタビュー 里山とインデックス投信の精神は通じる
加藤 隆(かとう・たかし)さん
バンガード・インベストメンツ・ジャパン代表取締役
1977年東京銀行に入行。その後、インターセック・リサーチ、シュローダー・インベストメント、ABNアムロに勤務。その間、ファンドマネジャー、コンサルタント、営業担当役員、日本支社代表などを歴任。2005年にバンガード・インベストメンツ・ジャパン(東京都渋谷区)に入社、代表取締役に。 銀行で資産運用という「やりがいのある仕事」に巡り合って以来、一貫して同業界で活躍。現在はバンガード・インベストメンツ・ジャパンで、投資信託の普及に尽力する。一方で、古民家再生プロジェクトや里山の再生活動にもかかわるなど、持続可能な暮らしへの関心も高い。「里山ライフとバンガードの精神は通じる」と話す加藤さんに、これまでのキャリアについて聞いた。
「汎用性があり、国際的な仕事がしたい」と、国際金融への関心から1977年、唯一の外国為替専門銀行だった東京銀行へ入行。入社7年目に本部でアセットマネジメント業務を推進する担当者に抜擢(ばってき)される。これが加藤さんにとっての転機になった。
「今後、資産の運用は大切になってくるし、仕事としても面白い。また、この分野に取り組んでいる人も少なく、これから求められる」ことを確信。イギリスの会社との合弁で、当時の日本ではまだ珍しかった資産運用ビジネスの育成と斡旋(あっせん)にあたった。87年にロンドンに赴任してから3年間は、海外債券のファンドマネジャーとして活躍した。
90年には、13年間働いた東京銀行を退職し、アメリカ系のコンサルタント会社に転職した。アセットマネジメント業界に特化した総勢40人ほどの小さな会社の駐日代表だった。「上司や友人からは『なぜそんな小さな会社に行くのか』と不思議がられましたが、今後、必ず必要とされる仕事」と決断。迷いはなかった。その後も、外資系の投資顧問会社でキャリアを積んだ。
金融業界の一線で働きながら、里山や古民家など、伝統的な日本の暮らしに関心を持ち始めたのは、ロンドンから帰国した90年頃。その後バブルがはじけ、それまで世界を牽引(けんいん)してきたジャパンマネーが急速に力を失い、「世界中から日本が揶揄(やゆ)され、多くの日本のビジネスマンたちが自国に対する誇りをしぼませていた」ことが気にかかった。
その誇りを取り戻すためにも「日本の伝統的な生活文化をもう一度見直す必要がある」と、たどり着いたのが里山や古民家の再生運動だった。2003年から2年ほど、金融業界を離れ、里山暮らしを普及するための自然農の講座を開いたり、日本の住文化を見直そうと、日本民家再生リサイクル協会の理事も経験した。日本古来の木の文化を維持しようと、長野県伊那市の建具職人の昔ながらの技術で作る家具をネットで販売するなどのビジネスも手がけた。
「企業年金の運用体制がある程度日本で整備され、自分なりにこの事業に貢献できたという達成感があったのだと思います。けれど、里山文化復興の事業化は難しかった」と話す。
05年、バンガード・インベストメンツ・ジャパンに出合った。「自分の生活信条に合っている会社で、ラッキーだった」と振り返る。「バンガードでは、短期的な視点で頻繁に売り買いせず、手数料を安く抑え、長く運用することが投資家にとって好ましいと提唱しています。本来、個人の資産形成に投機的なマネーゲームは禁物です」という。
現在、バンガードの主力商品である「インデックス投信」は、例えば、日経平均などの市場インデックスに連動する投信で、低コスト、長期投資が特徴だ。「自然と共に生態系の中で循環的に生活する里山生活の精神と、マーケットと共に持続可能なレベルで投資成果を享受するバンガードの精神は、通じるものがある」と加藤さん。
これまで転職を重ねる上で、常に頭にあったのは「そのビジネスは世の中に必要とされているかどうか」。その確信さえあれば、リスクを過度に懸念する必要はないと言い切る。
若い人々には、「これまでの経験から、人生に努力は不可欠だが、結果はほとんどが『運』。何をやっても、成功するか失敗するかはあらかじめ分からないので、自分が信じるものに向かってチャレンジしてほしい」とアドバイスしている。
(2010年4月13日 読売新聞)
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今日のニュースは、インターネット上で掲載されるニュースの中から、その
ニュースを占い的に分析をするものです。ですから、事件や出来事の内容や
様々ないきさつに言及するものではなく、純粋に運命式からそういうような
事件や出来事に関わるような可能性について簡単に説明するものです。即興
的な文章ですから、その辺を加味してお読みくださればありがたく思います。
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■銀行マンという堅さや原則性と人のつながりの間で
「金融業界の一線で働きながら、里山や古民家など、伝統的な日本の暮らしに関心を持ち始めたのは、ロンドンから帰国した90年頃。その後バブルがはじけ、それまで世界を牽引(けんいん)してきたジャパンマネーが急速に力を失い、「世界中から日本が揶揄(やゆ)され、多くの日本のビジネスマンたちが自国に対する誇りをしぼませていた」ことが気にかかった。
その誇りを取り戻すためにも「日本の伝統的な生活文化をもう一度見直す必要がある」と、たどり着いたのが里山や古民家の再生運動だった。2003年から2年ほど、金融業界を離れ、里山暮らしを普及するための自然農の講座を開いたり、日本の住文化を見直そうと、日本民家再生リサイクル協会の理事も経験した。日本古来の木の文化を維持しようと、長野県伊那市の建具職人の昔ながらの技術で作る家具をネットで販売するなどのビジネスも手がけた。」
加藤さんが銀行マンを選んだというのは、運命式的には正解である。というのは、原則性や価値観をしっかりと持っていなければならない仕事だからだ。また、いろいろと考えたり作戦を練ったり、自分の内面を見つめた利など内面的な面も持っている。
そういう加藤さんが自分の人生を見つけたのも銀行という仕事の中だ。そこで、この加藤さんが金融という仕事を通しながら、なぜ古民家などに興味を持つようになったのかということを、運命式で考えてみようと思う。
★加藤 隆さんの運命式をみてみよう!
<加藤 隆さんの運命式>
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加藤さんの運命式をみておもしろいことは、自分の中で全く異なる世界を同居させながら、それを矛盾しないようにうまくまとめているということです。
どういうことかというと、原則性や価値観などという堅い世界を持ちながら、仕事や人間関係などは人間的なつながりを大切にします。
堅さと柔らかさを内包しながら、そのバランスをとってるところがこの運命式の凄いところです。そのポイントは物事を内面的に考えるまじめな思考ができるところです。
それと同時に、仕事の中から自分の価値観を探していったということがいえます。どんな人生観を持つかということは、加藤さんにとってはどんな仕事観を持つかということに等しいからです。
ここで古民家再生というプロジェクトを見つけたということが、仕事と人生という価値観を一致させたのです。それは、普通ではあまりあわない組み合わせが一つの事業の中で融合したということです。
だから、こういうケースもありということです。運命式的に少しあわないところでも、選ぶ業種によっては自分の運命式をその中で昇華できるというケースもあるのです。
●・・・ひとこと・・・
自分の運命式をどんな風に活用するかということでは、どんな仕事、どんな業種を選ぶかということも重要な要素です。それらは自分の選択した仕事の中から自分が学び、その中から自分のミッションを捜さなければならないということです。でも、求めていれば、運命式が自分を導いてくれるということもあります。 |