■ニッポンの蚊取り線香…ローラー作戦20年の執念!フマキラー
20年来の地道な挑戦を続け、アジアを攻略したのは殺虫剤大手のフマキラー。その“エリア集中作戦”で、世界最大の蚊取り線香市場インドネシアの勢力図を塗り替えている。フマキラーが目を付けたのは「ワルン」と呼ばれる家族経営の零細小売店。極小の店舗には、どんな商品でも1社の商品を置くスペースしかない。それだけにワルンさえ落とせれば、一気に商圏のトップに立てる。首都ジャカルタのあるジャワ島で150の郡を攻略目標に定め、営業担当者ら3人が車で1カ月1000軒ペースでワルンを訪問。このローラー作戦を地道に続ける中で市場を獲っていった。強力な蚊が生息し、殺虫剤は命を守るための商品といわれる東南アジアを攻略したフマキラーの執念。
■フマキラー創業者の大下大蔵
大下 大蔵(おおしも だいぞう、1894年3月27日 - 1979年11月6日)は、日本の実業家。フマキラー創業者。広島県安佐郡祇園町(現・広島市安佐南区祇園)出身。
1923年、殺虫剤「強力フマキラー液」を創製、翌1924年、祇園町に「大下回春堂」(現・フマキラー)を創業。同年専売特許に成功し、戦前までに国内のみならず欧米諸国にも市場を拡げ、上海に工場を設置するなど同社を躍進させた。戦後1950年、一子・俊治の社長就任で会長に退いた。
なお広島市の老舗百貨店・福屋や近年閉校された大下学園女子短期大学、大下学園祇園高校も一族の設立・経営であった。
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社長占いニュースは、インターネット上で掲載される社長のニュースの中から、会社と社長の出来事を簡単に占い的に分析をするものです。ですから、会社の内容や個人の様々ないきさつに言及するものではなく、純粋に運命式からそういうような出来事に関わるような可能性について簡単に説明するものです。即興的な文章ですから、その辺を加味してお読みくださればありがたく思います。
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■創業者の運命式はちょっと違う!
フマキラーといえば、あのベープマットが思い浮かぶ。もっと古い人たちは、フマキラーといえば、やっぱり細長い筒を押し出すようにして噴霧する鉄製の機器を思い出す。薬剤くさいという特徴がすぐに浮かんでくる。
このフマキラーを一躍世界のフマキラーにした人物こそ、創業者の大下大蔵である。
戦前から戦後にかけて様々な企業が産声を上げたけれども、世界企業まで成長する企業というのはそんなに多くはない。
いずれにしても、この創業するということのエネルギーがどのくらいなものかということを運命式を見れば一目瞭然である。
★情熱と目的、エネルギー充満の経営者
<大下大蔵会長の運命式>
21 6 9
18 24 6
21 18 21
大下大蔵会長の流運
15〜30才 30〜45才
21 18 15 15
21 21 9 15
大下会長の運命式からわかることは、創業者というのはこのくらいの情熱がないと起業できないのだろうなということである。
とにかく、全部に情熱的な目的指向なのである。人に対しても、愛情に対しても、自分自身に対してもである。
極端すぎるということである。だから、人は理解しないと思う。すべてに一途なのである。思いこんだらそれしかないという機関車みたいな人だ。
その大下会長の流運も凄い、ちょうどフマキラーを開発する29才までの年齢は、本体と同じくすさまじいエネルギーである。
だからこそ、新しいものを創造し、新しいことができるのである。
開発に成功してからは、着実に頭を使って伸ばしていきます。そういう動の時と静の時が交互に訪れます。うまく自分の生き方のリズムを企業の経営に生かしています。
でも、生涯情熱的であることには変わりありません。
●・・・ひとこと・・・
創業者が凄くても、2代目にうまく引き継がれなければ、企業というのは厳しい競争社会の中に埋没してしまいます。
その点では、いいバトンの渡し方をしています。
ちょうど59才で、自分の運勢の変わり目に一子である俊治氏に社長を譲っています。
創業と守勢がうまくかみ合わなければ、企業の存続はできませんからこういう選択と判断がしっかりとできるというところは、さすが歴戦の勇者といえると思います。
それに、大下回春堂という社名の運命式も大下会長の持っている運命式とマッチングしますから、運勢的にも力を発揮できたのではないかと思います。
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