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■占いニュース・・黒川紀章さんと若尾文子さん:相性は?
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占いニュースは、その時々の話題の人、その他筆者の勝手な思惑でその人となりを占い的に解説して、その人となりの世界の理解を深めたいという欲求から始めたもので、あくまで陽陰姓名術「天使の占い」の運命式的な観点からの解説になります。
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まず黒川紀章さんから紹介しなければならないと思います。
■wikipediaより参照
黒川 紀章(くろかわ きしょう、1934年4月8日 - 2007年10月12日)は、日本の建築家(一級建築士)、思想家。株式会社黒川紀章建築都市設計事務所代表取締役社長を務めた。日本芸術院会員。
保守派の言論人でもあり日本会議の代表委員だった。共生新党を結党して2007年東京都知事選挙と第21回参議院議員通常選挙に出馬したがいずれも落選した。
愛知県海部郡蟹江町生まれ。
1953年(昭和28年)東海高校卒業。1957年(昭和32年)京都大学工学部建築学科卒業。在学中は西山卯三に師事。卒業制作の題目は「A Project for Shopping Center」であった。同年東京大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程へ進学。東大では丹下健三研究室に所属し指導を受ける。 東大在学中に「株式会社黒川紀章建築都市設計事務所」を設立。1964年(昭和39年)東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程単位取得退学。1969年(昭和44年)には株式会社アーバンデザインコンサルタントと社会工学研究所を設立。
槇文彦、磯崎新、谷口吉生らと共に丹下健三の門下生である。1959年(昭和34年)には建築理論メタボリズムを浅田孝ら(大高正人、槇文彦、菊竹清訓、粟津潔、栄久庵憲司、川添登)と提唱した。1960年(昭和35年)、メタボリズム・グループとして世界デザイン会議に参加。社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案した。メタボリズムに基づいた増築・取替えの可能な建築として中銀カプセルタワービル(1972年)などの作品がある。
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■どんな人?・・エピソード
黒川がファンだった若尾文子と、中部日本放送のトーク番組『すばらしき仲間』で共演(1976年)、その時に若尾の美しさをバロック芸術(肯定と否定の矛盾)にたとえた。
日本文化デザイン会議では黒ずくめの服装で日本刀を持ち込み、「僕はいつも、明け方三時にこれ(日本刀)を抜いて、自宅近辺を走ってますよ。刀を抜いて着物で走るという“実戦”の訓練を昔からやっているんです」(週刊文春 2007年3月8日号)と発言する。
黒川は黒を好む人物として知られており、1960年代に黒を流行らせたと自負している。また、「黒の服しか着ない」と述べており、初めて買ったポルシェの色も黒で設計事務所のワークステーション(事務機器)も黒で統一している。その他、IBMのロゴに対して、三色を使っていることと斜めを向いていることに対して、「いわれにこだわりすぎ」と述べるほどである[5]。
亡くなる二日前、妻の「あまり良い奥さんじゃなかったわね」という言葉に対して「そんなこと、そんなこと…本当に好きだったんだから」と答えたのが妻と2人で交わした最後の言葉とされる。[6]
★黒川紀章さんといえば、仏教系の学校を卒業していますから、価値観としてぼ基礎がその思想形成に入っていると思います。それが後に出てくる「共生の思想」ということだと思います。
■どんな運命式?
<黒川紀章さんの運命式>
25 14 23
22 34 12
31 20 23
<黒川紀章さんの流運>
16172220782220
16141920751920
■黒川紀章さんの運命式の特徴
★運命式は黒川紀章さんをどのように導いたか?
大建築家であり思想家でもある黒川紀章さんを分析するのはおこがましいといわれますが、運命式は全体的に破天荒を表しています。でもそこには目的性と人間がいつも介在しているのです。
運命式は黒川紀章さんという人を世の中を切り崩していくという力をその目的の中に閉じこめることで、建築という世界で偉大な業績を上げるようにしたのです。
ここにも相対的関係の法則が働いていて、その中でも目的性の法則が強い影響力を持っています。
運命式は建築という材料を与えることで、そこに人との関わりを持つ思想(共生の思想)を持った黒川紀章という人間を創りあげていったのだと思います。
★若尾文子さんとの相性は?
黒川紀章さんの愛情運の感じ方がとても面白いのです。
どういうことかというと、自立して強い人でそれでいて自分の人情的なところもちゃんと受け入れてくれる人なんだけれど、冷たくするような自分の態度にも共感できる人ということになります。
黒川紀章さんが「その時に若尾の美しさをバロック芸術(肯定と否定の矛盾)にたとえた。」という若尾文子さんは、まさにそのような不思議な魅力を持っているのです。
若尾文子さんの運命式と黒川紀章さんの運命式が相対的な関係の陽と陰を結んで、そこに愛情運が関わって、無常な刺激を与えているということです。
主体性と強さ、頑固さの固まりの中に、それでも人情を理解してもらっているという手応えがあったのでしょう!
■最後のエピソード
病床での最後の夫婦の会話に『「あまり良い奥さんじゃなかったわね」という言葉に対して「そんなこと、そんなこと…本当に好きだったんだから」』というのがあります。
これこそ、黒川紀章さんの運命式が言わせた偽らざる言葉だと思います。
自分の目的の中に破天荒を閉じこめて、建築界のリーダーになった男が、自らが持つ愛情の理想に甲を脱いだのが若尾文子さんであったということだけは事実のようです。
●・・・ひとこと・・・
人の一生は自分で決めているような気がしていますが、実は知らない間に運命式の影響を受けて、そのカテゴリーの中で自分創りが行われている。そのことがやっとわかるような年頃になった時は還暦である。だから、運命式はもう一度人生を出発せよといっているような気がする。今度は運命式を使える人間になれということだろう。
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