◆ナンバー制の命名
要するに、生まれた順番を暗示するような名前のつけ方である。これに、いろいろと飾りや意味をつけてつけるという工夫である。
例えば、一子(かずこ)、二美(ふみ)、三千代(みちよ)という具合である。
◆通し文字の命名
この通字、通し文字というのもよく使われる。親から子へとつながる縦の通字というのがある。例えば、景元→景國→景成という具合である。
それから、横の通字、通し文字というのもある。兄弟に権也、國也、秀也、という具合につける場合である。
歴史上では、平氏は正盛→忠盛→清盛→重盛→維盛 など「盛」が通字である。源氏は、義家→義親→為義→義朝→義平 など「義」が通字である。
分家がでれば、その分家ごとに通字を決めていくということになる。
これは氏族・家族主義という家の連帯感を表す上では有効なつながりを持つ。
現代では個人主義になって、そういう家族の連帯感は薄れてはきたが、それでもやっぱり身近にあって連携できるのは家族というつながりではないかと思う。
そういう意味では、この「通し字」という名前のつけ方は、個人主義の弊害が出てきている今日では、しっかりとした家族の連帯感を作る上では有効ではないかと思う。
古い話だが、ノーベル賞の湯川秀樹博士の兄弟は、みな「樹」を通字にしていたそうだ。
4)その他・命名の知恵
◆親の名前を一字つける命名
これも通字といわれる命名の方法だが、武士階級が出発する頃からの習慣になっている。これは家制度の存続と父親への尊敬の念を持って欲しいためであるが、本当は親に勝る人になって欲しい願いが込められているということだ。
◆周囲の顔をつぶさずに名付ける命名
これは、あらかじめ運命式のいい名前候補をいくつか選んでおいて、その名前を和紙に書いて丸めて、盆の上に載せる。その上を和紙の御弊でなで回すようにして祈る。するとそのうちの一つが和紙のケバに絡みついて御幣にくっついてくる。これで神のお告げが決まるということだ。こんな方法もいい。
◆命名の名前は大きければいいというものではない。
これは子供に対する過度の期待があると、それを名前で表現しようと親は躍起になるが、期待が大きければ大きいほど親の私情が入るので、子供の持っている可能性を無視してしまうことになりかねない。だから、そういうときは客観的な他の人の意見を先ず聞くことから始めるのがいい。
◆道徳的な名前の命名
儒教道徳の「仁義礼智忠信孝悌」これにあやかって名前をつけるというのは、子供に道徳心を持って立派な人になって欲しい純粋な親の願いなのだが、最近はもっと子供の個性を重視した可能性をのばすような名前が好まれるようになっている。名前ランキングを見ればその傾向はよくわかる。
◆出世間違いなしの命名
そんな名前が絶対にあったとしたら、誰でもつけたいということになるが、実は名前は漢字の持つ意味よりも、姓と名の画数のバランスが大切ということになる。その上で、漢字の意味を考えるべきなのだ。
これを反対にして、漢字の意味だけを先に考えると、姓と名の画数バランスをとることができない。すると、名前負けするというような命名になってしまうことになる。
◆子の心親知らずという命名
親ばかとはよくいうけれども、これは親を批判するものではなく子供を愛していれば誰でも親ばかになるのは当たり前だ。だから、子供には親はいろいろな願いを託するようになる。そうすると、いろいろと難しい漢字をつけてしまったり、子供が書きにくい名前をつけてしまったりすることがある。
それに格好はいいけれども内容が男の子なのに女の子になってしまったり、その反対のこともある。だから、親の思いで格好のいい漢字をつけるよりも、子供の内容を運命式で見てやらなければ、子供にとってはいい迷惑という話になってしまう。
◆難解な名前の命名は避けるべき