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改名自己再創造(啓発)プログラム

赤ちゃんの名前・改名・相性占い・名前鑑定は姓名判断の天使の占い
改名によって人生が始まる・・・運命の神様を呼んでくれる道が改名プログラム
●改名によって何故人は変わるのか?

姓名は宇宙と相対的な関係(相手に対して相互に影響し合う関係)にあり、

改名することは宇宙との相対的関係の今までの状況を変えることになります。

改名による人の変革は自分の宇宙が変化することによって起こる自然な現象といえます。
命名・赤ちゃんの命名・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の天使の占い・遠山球希
遠山球希

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遠山球希のターニングポイントはここ

遠山快空(宣丞)のターニングポイントはここ

■私(球希)のターニングポイント


★第1のターニングポイント

●見えない世界を知りたくて!

私は石川県七尾市に生まれました。家族は祖父、祖母、父、母、兄、私の6人家族でした。家の仕事は百姓でした。父が国鉄職員でした。私が5〜6歳の時、家の前のほんの100メートル位しか離れていない所に住んでいる叔父さんが、ある日突然交通事故で亡くなったのです。42歳の厄年でした。 当時流行していた自転車バイクに乗っていて通勤の帰り、車と衝突して即死だったのです。今でも、その当時のことは、はっきり覚えているのです。人生で初めてのお葬式というものを体験して驚いたのです。

親戚の人が沢山集まり、我が家にも集まって賑やかだったのと、お葬式の
ごちそうが何故か美味しくて、嬉しかったのを覚えています。そして人が沢山集まって嬉しかったのです。でもお葬式が終わって人がいなくなったら、急に寂しくなってしょうがなかったのです。そして、その時人間って死ぬんだな〜と改めて思ったのです。

朝、おはようと言っていた人が夕方にはいなくなる。その事実を突きつけられた時、私は受け止めきれないような衝撃を受けたのです。お葬式を終えて、お骨になる。じゃ!あのおじさんは何処に行ったの?という素朴な疑問が沸いてきたのです。私はそのときから、死んだらどうなるのかしら?といつも思っていました。
自分の存在がこの地球上からなくなってしまうと思うと怖くてたまらなかったのです。

”自分の存在が有から無になる。”嫌だ! そんなことは考えたくない。
と思いながらでも、また考えるという感じでした。非常に哲学的だったのです。もし総てが無になってしまうのだったら、今死んでも、80歳になって死んでも同じじゃないの?!?!。もし、総てが無の結末ならば、泥棒してもいいじゃない?世の中で散々悪いことをしまくってもいいじゃない?総ての結末が無であるならば・・・。

人が生きるプロセスは何なのか?人は良いことをしよう!とする心がある。為に生きよう!ボランチィアをしよう!とするのは何故?何か見えない世界? あの世の世界があるのかもしれない。死んでも生きる世界があるのではないかしら?
その方が理屈に合う。と思うと人生の生きるプロセスの意義があるように思えてくる。
そこでやっと、私の心は落ち着いて来たのです。私にとって少なくとも、この身近で起きた内容が大きく人生を考えされられた最初の出来事でした。
ですから、私は小学1〜2年生くらいの時から、刹那的は考え方は出来なくなってしまったのです。

●嫁姑問題で悩んで!

そして、小さい頃より家の中では、嫁姑問題が渦巻いていたのです。
母は昔からどちらかというと体が弱く百姓には向かない体質だったようです。でも母がいないとき、おばあちゃんや近くにいる小姑が家によ〜くやって来て母の悪口を言うのです。

「お前のかあちゃんは体が弱いし、ホント役にたたんわ。困ったもんや。」と私がいてもはっきり言うのです。それは子ども心にとても、辛く感じたのです。母は体が多少弱くっても、一生懸命頑張っているのに、何であんなこと言われなきゃいけないのよ〜。と私は母のことを代弁したかったのです。

でもそうすると母にの方に肩を持っていると言うことで敵視されるから、まずいことになる。だから立場的に中立になっていた方がいいと思ったのです。それであまり反応をしないように接していたのです。また、母にそのことを告げるとさらに苦しんだり悩ますことになる。だから、色々聞いていても報告しないことにしたのです。

その方が喧嘩にならない。もし私が報告することによって、双方が喧嘩をしたら大変です。それは充分あり得ることです。私が本音を言うと、たちまち家の中がバラバラになってしまうと思ったので、心の内を言えなかったのです。大人の複雑に絡んだ世界をかいま見ながら、どうしたら家族として本当にうまくいくのだろうかと真剣に悩んでいたのです。

ですから私の小学校の頃の悩みは、嫁姑の問題や結婚しているのに浮気をして家庭がだめになったとか、そういう問題がどうしたら解決できるのだろうかという悩みだったのです。知らないうちに私は、大人の顔色を見ながら対応する子どもになっていたのです。そして心をそのままストレートに表せない癖がついたのです。それは家の中を丸く収めようとするには必要なことだったのです。そういう習慣が付くようになって、知らず知らずのうちに、八方美人になっていたのです。

そのことがとてもいやでした。先に周りのことを考えてしまって自分の意見が言えないのです。だから人から何といわれようと、思われようと自分の考えを堂々と言える人が素晴らしく見えたのです。とても羨ましかったのです。私もあんな人になりたい!と憧れたものです。

ある時、中学生の友達に「あんたは八方美人や!」と言われたときには、本当にその言葉がズサッと心の中に刺さったのです。何か心の中を見抜かれているようで、心が裸にされたみたいで恥ずかしかったのです。八方美人はいや!とどんなに叫んだことでしょう!でも自分が変われないのです。こんな自分が変わりたい。もっと堂々とした意見を言える自分になりたいともがく私だったのです。

ですから、私にとって優柔不断と八方美人という言葉は敵のように思えたのです。でもなかなか脱皮できない自分なのでした。自分の性格が大嫌いだったのです。とてもいやでした。もっと人の目を気にしない自分になりたいとどれほど思ったことでしょう!今はその分このような悩みを抱えた人の気持ちはよく分かります。

★第2のターニングポイント

● 看護師になりたい!

私は中学校くらいから本格的に看護師になりたいと思い始めました。
それも今から考えると3つの理由からだと思います。

1,純粋に人助けをしたいと思ったからです。
ある時、可愛そうなインドの貧しい人たちの内容がテレビを見てしまったのです。

マザーテレサのお話だと思います。貧しくて病院にも行けない人々がゴロゴロと道に倒れていた。そこをマザーテレサが訪ねながら、手当てをしていた。
また病院のような修道院のような施設で、収容している病気の人々の悲しそうな姿が目に焼き付いたのです。可愛そうに、日本では考えられないレベルです。世の中にこんなことがあること自体信じられない。少しでも将来お役に立ちたい。と幼心に思ったのです。

本当は医者になれたらいいな〜と思っていました。でも、それほどまで頭は良くない。せめてその補佐の看護婦さんにはなれるのじゃないかしら?
とにかく、真面目に直接的に人助けしたいと思っていたのです。人の痛みの分かる看護婦になって、少しでも痛みを緩和するお手伝いをしたい。将来もしできるなら、インドに行ってお手伝いしたいなあ〜と思ったのです。

2,そして、もう1つの理由は、何か私の持っている疑問が解けるかもしれない。と思ったからです。看護婦は人の生と死に直に触れるお仕事です。小さい頃から疑問に思っていた私の心の世界で宿題みたいな疑問が解けるかも知れない。そう単純に思ったからです。看護師は生死に直接対面するお仕事です。そんな機会に死んだらどうなるのかもっと考えることができ、何か自分で悟ることが出来るのではないかとというほのかな期待があったのです。

3、それと現実的には、国公立の看護学校はお金がいらなかったからです。
今とはシステムが違い、当時、もう35年ぐらい前ですが看護師不足で看護師になるための優遇措置でほとんど経費がかからなかったのです。
高校を卒業して3年間ほとんどただのようなものです。全寮制ですし、寮費ダダ、食費はタダです。その代わり病院の患者さんと同じものを食べていました。1ヶ月1万円のお小遣いだけが仕送りされていました。

もちろんアルバイトなんてやる暇はありません。経済的には親孝行です。そして自分の目標としている看護婦にもなれるのです。一挙三得!。それで迷わず看護学校に進んだのです。

私は京都の看護学校に入学しました。看護学校は、看護婦としての知識と技術を習得するものです。でも私は技術的なことにはあまり関心がなかったのです。今でも不思議ですが、もっと人間の根本的問題に関心があったのです。もっと勉強して、哲学でも学べば良かったのかもしれません。

それに私は、あまり看護婦として器用ではないような気がしたのです。
看護学生としても、あまり優秀ではありませんでした。成績もたいしたことはないし、実習でもミスが多かったように思います。消毒したガーゼをよく落としたり、注射も上手ではなかったと思います。劣等生に近い状態でした。

解剖学で実際の人の解剖の見学をしたり、病棟の実習をしていくうちに
いろんな疑問がまた湧いてきたのです。人間を物のように扱っているように見えたのです。私の思っていた世界、求めていた世界は、もっと精神的な世界で本質的な世界だったのです。もっと心の世界を高めたいという思いが強かったのでしょう。

それだけでは飽き足らなかったのです。 何を寝ぼけたことを言っているのかしら?と思うかもしれませんが当時の私は大まじめに真剣にそう思っていたのです。私の実習していた病院は長年結核の患者さんがいる特別な病棟がありました。そこでは、家族とつながりが持ちにくい状態の患者さんが沢山いました。
社会復帰の出来ないかた、家族が帰ってきて欲しくない状態の患者さんが沢山いました。帰るに帰る所のない人々をどうしたらいいのかしら?
と思ってみたり、もっと精神的、社会的に解決しなければならないことがいっぱいある。

私の求めていたものは、肉体的な看護婦ではなく、精神的な看護婦のような気がしたのです。格好良く言うと心の看護婦です。肉体の看護は私がしなくても沢山いるからやってもらえる。私しかできないもっと違う心の看護をしたいと思っていたのです。

看護婦は立派なお仕事だと思います。社会にとって必要欠くべからずのお仕事です。だだ私の場合は、ちょっとはみ出したのだと思います。当時の私はかなり観念的だったと思います。お給料が高いからいいとか、手に職を持つと一生食いっぱぐれがないとか、そういう動機は不思議と全くといってなかったのです。

今から考えるとどう考えても不思議なくらいです。生活観念が全くと言ってないのです。とにかく、看護学校に入ったのだから、国家試験だけは合格しないと行けない。それだけは結果として取らなければと思い、やっとの思いで勉強して国家試験は合格しました。とにかく私のこの3年間は、暗黒の3年間でした。青春時代楽しい思い出と言うより、悩み多き青春時代だったのです。

● 看護師にならなかった私!

そんなわけで、私は、看護学校を卒業しても、看護婦になる意味を見いだすことが出来ずにいたのです。もっと哲学的なものを自分の中にしっかりと持たないとやっていく自信がなかったのです。一生看護婦として仕事をしていく自信がなかったのです。

もっと自分を磨く修行をしないと行けないと思ったのです。なにをもったいないことを言うの?と思われるかもしれません。でも、当時の私は、いまでいうはみ出し者です。真面目すぎるはみ出しもの!そういうと変かもしれませんが・・・・。不真面目ではみ出したのではなく、真面目に考えすぎてはみ出して看護婦にならなかったのです。

もし、私がそのまま看護婦になっていたら、今の主人にも出会わず、今のように占いカウンセリングをしていなかったでしょう。人それぞれの人生、私は決して後悔はしていません。むしろ私の場合良かったと思っています。

私は看護学校卒業後、すぐに看護師にならずにしばらくいましたが、
人生の勉強と思い、思い切ってある総合商社の健康部門に入社しました。
毎日毎日、来る日も来る日も営業に回りました。

★第3のターニングポイント

● 主人との出会い

そんなことを経て、ある時今の主人と出会いました。突然、会社の人事で役員として主人がやって来たのです。そして、私の上司になりました。主人は最初から、占いの人ではありませんでした。でも、仕事では人間関係やお客さんのことなどで、占いをうまく使っていました。

私はそれまで自分の性格に対して、かなりコンプレックスを持っていたのです。小さな頃から考えたり、悩んだりする習慣が染みこんでいたのです。悩みの百科事典みたいに、悩んでいたのです。確かに物事の本質的な内容に対して悩むのですが、悩んでも仕方のないことに悩んでいたのです。

そういうときに、全く悩みのないような顔している主人に出会ったのです。
なんで悩まないの?と不思議なくらいに元気で悩まないのです。物事を前向きに考えられる。プラス思考型なのです。私はマイナス思考ばかりしてしまう方でした。ですからグイグイ主人に引っ張られたのです。

ありがたいことにたくさんのエネルギーをもらえることが出来たのです。
そんな不思議な主人に私は徐々に惹かれていくようになりました。
そして、様々なことを学ぶようになったのです。 主人は全く、私とは180度
違う観点でものを見る人です。

私が、悩み多き心の世界をさまよい続けていたにもかかわらず、主人はただ悩みもなく目的に向かってまっすぐに生きれる人なのです。私が八方美人で優柔不断で悩む性格でも、主人は人の目を気にしない白黒はっきり言える人なのです。まったく違う世界を持っているのです。だからこそ良かったのだと思います。

この人と一緒になったら、不思議と何か出来そうな気がしたのです。
とても神様の導きを感じて、結婚したのです。主人は何事も、徹底する人です。主人が本格的に占いのお勉強に没頭し始めたのは、今から約30くらい前のことです。

いつも夢で色々なことを見たことを書き留めたり、いろんな本を読んだりとても研究熱心でした。 仏教書、キリスト教書、哲学書など様々な本を読みあさって
いました。主人はとても、目的指向タイプの人で、私はいつも感心してみていたのです。私はとてもまねの出来ない徹底ぶりです。

数字を1つ1つ分析して、考えながら、また夢で教えられながら、いろいろ瞑想したりしていました。ですから、いつも夜休むときはノートと鉛筆を横に置いて休んでいました。何か浮かんだら、すぐに書き留めないと忘れてしまうからです。

● 陽陰姓名術「天使の占い」の始まり

一生懸命に求めていたら、ある時ふとお風呂の中で閃いたというのです。
お風呂の中で湯煙が立ちますがその湯煙で遊んでいたのです。その時何気なく、○を書いたのです。この時ぴーんと閃いたのです。これだ〜。疑問に思っていた内容がいっぺんに解けたのです。霧のようにもやがかかっていたのが総て晴れたよう感じでした。それから、精力的に自分の占いの内容をまとめ始めました。やっと陽陰姓名術の始まりです。

数字の内容をまず戦国武将達の中で実証し始めたのです。その中から、織田信長の運命式を解きながらとても重大な発見をし、内容を深め、固まってきたのです。そしてその内容が、広く多くの人に何か実用的に使ってみて役立たないと何の意味もなさないのです。

それで、本当にこの占いの内容は本物かどうか検証してみないといけません。我流で、本当かどうか分からないことを人に伝えてはいけません。実験みたいなものです。私は最初、主人が多くの人達にダダ同然で占いをして差し上げるのを見ていました。

お友達や、口コミで来られる方に見て差し上げたのです。すると、とても喜ばれて、悩んでいる人も元気になって喜んでいかれるのを目の当たりにしたのです。なんて素晴らしいことなんだろう!これは本当の意味で人助けになると痛感したのです。 まず自分を知り、相手を知ることによっていらないエネルギーを使わ
なくて良いということがわかったのです。

私が悩んでいた問題の解決の第一歩が、この占いを解くことによって少しでも解決出来る糸口がつかめたのです。その為のとても良い材料になることが理解できたのです。それでやっぱりこれは正しいと確信したのです。占いはインチキではない。この占いは統計と数字による根拠のあるものだということがよ〜くわかったのです。

それから、広く多くの方々に役立ていこうという趣旨で本格的にタウンページの占いコーナーに出しました。私も主人を助けて、せめてそのお手伝いをしていこうと心で思っていたのです。でも結果的にはそうはさせてもらえなかったのです。

● 占い師としての訓練

主人は、お客様が来られると、いつも私をそばに座らせました。え〜、なんで!私忙しいのに・・・。他にやりたいことがいっぱいあるに・・・。と思いながらも、そばについていました。そして、丁寧にお客様に説明していました。そのうち、私は少しずつ主人の鑑定している内容が分かるようになってきました。

数字の出し方、解き方様々な内容や基本的なことなどは主人から教わりました。でも応用が難しいのです。それは見よう見まねで覚えていったのです。もう習い始めてから3年くらい経ったある日のことです。占いのご依頼の電話がかかってきたのです。私がいつものように主人に取り次ごうとしたのです。でも私にやりなさい。と言うのです。

「え〜そんな馬鹿な。私は出来ない。」と言うと主人はトイレに入って出てこないのです。私知らない!でもあと15分したらまた、解答を求めてかかってくる。どうしょう!主人にいくら頼んでも、トイレから鍵をかけてでて来ない。仕方なく運命式を出した。もうあと5分、3分とカウントダウンされる。電話がかかってこなければいいのにと、この時ほど切に思ったことはありません。でもかかってきた。心臓が弾けそうな緊張感!一か八かやってみるしかない。腹を決めた!一生懸命にお話をした記憶だけが残っている。

主人はわざとトイレから出てこなかったのです。この時こそ、ライオンが我が子を谷底に突き落とすような喩えのような気持ちだったと思います。もしそうしていなかったら、今の私はいなかったと思えるのです。私は知らないうちに、主人の第1の弟子になっていたのです。それがきっかけとなって、もう何千人の方を鑑定、相談したか分かりません。そして、私は主人と出会っていなければ占いなど、始めなかったでしょう!そして占いカウンセリングを始めて20年、ここまでやってまいりました。
名前も途中から「天使の占い」としてインターネットで始めました。
本当に人助けをする天使の使命を感じたからです。

★第4のターニングポイント

● ギフトの人生!

私は52歳の時に大腸ガンになりました。ある日突然、「あなたはガンです!」と言われたのです。この時の衝撃は忘れることが出来ません。すぐに私の前に死という文字が浮かびました。死が私の目の前に現れたのです! 死と隣り合わせになったのです。もう死のすぐのカウントダウンが始まった。死の準備がされていない私は、あせりました。手術をする事になったのですが、死ぬかも知れないという覚悟で、すべて主人に任せて臨みました。

私はこの時死の恐怖よりも、もっと違ったことで苦しみました。それは残された家族のことです。何よりも残された家族のことが不憫でならないのです。私は死んでいくから良いかもしれない!しかし残された家族はどうするのか!そのことの方が心を痛めたのです。

一番心配だったのは、その当時小学4年生の三男のことでした。この子がこれからどうして生きていくのか!そのことが一番気がかりになるのです。甘えん坊のこの子が、ママがいないとどうして心のその寂しさに耐えていくのだろうか?と考えると居ても立ってもいられなくなるのです。そのことで涙がどれほど流れたことでしょう!

母親のいない子供の寂しさが私にとって耐え難い事を痛いほど分かるから、そのことが一番生きることの執着になりました。死と直面して実感した内容です。私は子供に寂しい思いをさせたくない!このことがこれほど私を生きたいという執着になるかりたてたか計り知れません。最大の原因になったのです。何が何でも生きたい!そう思いました。

しかし、生きるも死も自分で決められない!自分でどうにもならない範疇です。生か死か紙一重です。術後の説明で判明したのですが、手術をした一部分を見たとき皮一つでもう少し時間が遅かったら転移していたのです。
私はこの時「生かされた!生きることを延長された!時間を神様が私にプレゼントしてくれた!」と思えたのです。

もしガンが転移していたら、それはそれまでのこと!しかしもしそうでなく、命を延長して貰ったとするならばそれはこれからの人生は神様からのギフトであると思ったのです。そして私は誓ったのです!ギフトとしていただいた人生は、自分のためだけに使ってはいけない!どのようにしたらよいか!それは更に人のためになる事をしないといけない”と思ったのです。


● コーチングへの道!

頂いた人生をどのようにすべきか真剣に考えました。その結果もっと人を元気に出来ることをしないといけないと思ったのです。そんな時、調度主人からコーチングを一緒に勉強しないか?と言われたのです。それでコーチングのお勉強を夫婦で始めました。コーチングを学んでいく内に私が求めていたものがここにあると気づきました。
私はやらないといけないと思ったことがあったのです。本当の自分を自分で気づくことが出来るということ。そしてもっと自分のレベルアップ出来る道であることが分かりました。

今までも人助けと思い、占いカウンセリングをしてきました。占いは悩みや相談が多いのです。占いとコーチングがドッキングすれば、もっと多くの人を助けられる。私はそう思いました。
多くの人が元気になり、そしてもっと積極的な方向へと進むことができる。
一歩進んだ内容に進んでいきたいと思った私の思いとちょうど一致する内容だったのです。占いを始めたきっかけも人助けです。そしてコーチングをやり始めた動機も人助けです。占いコーチングは最終的に人助けになると私は思っています。

コーチングは持っている潜在的な内容をもっと引き出すお手伝いだからです。
眠っている潜在的な能力を、引き出すことによってもっと大きな事を成し遂げることが出来るからです。ただそのお手伝いいたします。
私は幸せづくりのお手伝いをさせていただく為に生まれてきたのではないかと自負しています。看護師になろうとしたのも、人のお手伝い、つまり直接的に人のためになることが出来ると思ったからです。そして占いも心の世界の悩みの解決のお手伝いだからです。その延長線上さらにレベルアップした占いコーチングの世界がある。それは私の人生そのものが一本の線で結ばれた気がしたのです。

占いとコーチングは共通点は心の世界を広げ共に考えるところです。
そして私は占いコーチングとして、取り上げたい問題が個人と家庭問題です。私が今まで行ってまいりました、占いカウンセリングのご相談の中でかなり比率で夫婦問題、親子問題があります。それらの解決の糸口がコーチングをすることによって大きく道が開かれることがあることに気づいたのです。

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