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愛される為に! |
今回は、人間にとって最も重要なテーマで書いてみたいと思います。それは、"愛される為には?"どうしたらよいのかということなのです。陽陰姓名術協会がもっとも力を入れるところは、人間の相対的な関係です。それは、家庭という単位の中で熟成されて、社会という大きな器の中で実を結ぶようになっているのです。その相対的な関係は愛情という交流があって成り立ちます。いろいろな人が"愛"を強調します。そして愛することの大切さを説きます。しかし、人はその愛そのものを理解しようとはしません。何故なら"愛"がわからないからなのです。この本質的な問題を取り上げてみたいと思います。
<愛された経験のない人は愛することができない>
そんなことは当たり前といわれると思います。そのとおり当たり前なのですが、あなたは本当に愛されてきましたか?と問われるとなかなか自信を持って"はいそうです"と答えられる人は少ないと思います。愛情という問題を考えたとき、幼少期にどういう愛され方をしてきたかということがその人の人生に大きく関わってくるのです。じゃあ!愛って何だ。そういわれてこれが愛と答えられる人はいないと思います。それほど愛の問題は簡単ではないのです。しかし、ここではっきりしたことを整理してみましょう!
愛される為に(1)!
@幼少期に受けた愛情のあり方が、その後の人生に大きな影響を及ぼす。
A結婚観、男性観、女性観の背景には、その人から見た親の姿が見え隠れする。
B家系史はくりかえす。家族の中に起こる事件は、その家の歴史にまつわる輪廻の怨嗟か ら逃れることはできない。
C本当の愛を流すことのできる人が現れたとき、その家庭は新しい出発ができる。
特にB番目とC番目の課題は難しいので、これから共に考えて参りましょう!
<愛を感じた蓄積のある人は、愛の感性を共有できる!>
どんな愛を受けてきたのか?どんな愛され方をしてきたのか?愛の難しさは、愛を受け取る"相手の感性"に依存するから、愛されてきたとか!いや自分は本当に愛してきたとか!自信を持って答えられないのです。もし、本当に愛があるならば、その答えは相手の行動・表現の中に現れるはずだからです。
ここで大切なことは"感性の共有"です。相手の中にどのくらい共鳴できるかということなのです。共鳴できなければ共有はあり得ないのですから!
共鳴することは"同情"ということとは違うのです。同情は自分が勝手に自己を投影するところから始まるので、相手とは一切関係ないのです。共鳴とは相手の心の中のどこかに"住んでもいいよ!"というゴーサインなのです。そして、相手の心の中に同参し、相手の心の一部分を占有するようになって、それを相手が無条件に許可している状態こそ"共有"しているということができるのです。
愛される為に(2)!
そして、同じことが自分の心の中にも起きている。それを確かめられることこそ、愛を共有したといえるのです。
そういう経験をどこで積んでいるかということなのです。
平凡な家庭がいいと人はいいますが、そんなことはありません。家庭の中には事件がいっぱいあるのです。その事件をうやむやにして平凡を装っていると、後でとんでもないことになるのです。事件は何の為にあるのか?何で起こるのか?そのことを考えてみる必要があります。事件には原因が必ずあります。
あなたの家庭に「万引き事件」が起こったとしましょう!すると人は起こった事件の為に嘆き悲しみます。これは大きな間違いです。問題はそのことにどう対処するかということなのです。原因の解明と方向性の提示が大切なのです。
アメリカのブッシュ大統領は、アル中になって荒んだ生活を送っていたといわれます。しかし、それを乗り越えたことによって、人としてもっとも大切なものを得たように思います。「小さな事件は、将来の大きな人間になる為の舵取りなのです」
事件が起きなければ、人は愛の感性の共有なんてできないのです。事件大歓迎ってところです。しかし、そこには見失ってはならない大きな原則があります。
"我が家では、事件は3分、3時間、3日間で解決という家訓があります"
こういう原則を絶対視する生活こそ貴重なのです。 |