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愛される為に(3)! |
<幼児期に絶対的愛を受けた人は、愛する方法を知っている>
日本で望まれた妊娠は全体の36%、意図しない妊娠は36%、望まない妊娠は3%、中絶は25%とあります。(これは1995年のデータなので、今はもっとひどくなっている)アメリカでは43%、フランスでは66%の子供が望まれて生まれてくるのです。
それに比べて日本のなんと低いことか?驚きです。
このことは、幼児の虐待とも密接な関係があって、虐待報告のある子供の場合、その80%が意図しない妊娠や望まない妊娠の子供であるというのです。それにひどいのは幼児の保護怠慢や保護拒否が多いということです。このように見て参りますと、絶対的な愛を受ける為には、両親の結婚ということが大きな問題になってくるのです。望んで子供を産むということと、しょうがないから子供を産むのではその後の親としての子供の接し方に違いがあって当然なのです。
日本で生まれてくる約39%の子供は、絶対的な愛を受けられなくて成長しなければならないという過酷な運命が待っているのです。そして、その子供が再び親になる日が来る。そのとき、愛なき虐待の輪廻が始まるやもしれないのです。
愛される為に(4)!
類人猿であるお猿さんにちょっと聞いてみますと、小さな小猿はいつもお母さんのおなかにくっついて片時も離れません。母親に密着していることで安心と保護を得ているのです。人間も、生物ですからこのお猿さんのようにしっかりとお母さんに密着していることがなんといっても大切なのです。"赤ちゃんはよく抱きしめてあげてください"と指導されると思います。お猿さんは赤ちゃん猿を抱きしめながらたたくでしょうか?そうではありません。かえって様々な情報を子供に伝達し、生きる術を教育しているのです。その証拠に、成長して一人前になると自分で生きていくようになります。ところが、動物園で人間の手でミルクをやりながら育てられた猿はどうでしょうか?猿として生きる術を知らないのです。これは成長した猿にとっては苦痛以外何者でもありません。
私たち人間は、どこかでこんな子育てをしてはいないでしょうか?
絶対的な愛とは、あるがままの姿を十分に受け入れてあげる期間が人間には必要ということなのです。特に幼少期にです。子供の自分勝手さを十分に受け入れてあげる。そんなときが必要なのです。それがベースとなって、人は様々な出発ができるようになるのです。もし、このベースがなかったとしたらどうでしょうか?土台が手抜き工事なのですからどんなに立派に外見が見えても、阪神大震災のようにちょっとした事件でもろくも崩れ落ちてしまうのです。
あなたはこの土台作りを忘れてはいませんか?経済的な理由などいろいろあるかもしれません。しかしそれは理由にはならないのです。もし怠ればその報いは自分に降りかかることになります。
愛される為に(5)!
結婚って何か?
ここでちょっと考えなければならないことは、じゃあ結婚てなんだろうかということなのです。何の為に結婚ってしなければならないのか?なんて難しく考えるときりがありませんが、ちょっと乱暴な答えですが、いっちゃいましょう!
それは、お互いに所有を決定するということなのです。"私は貴方のもの、貴方は私のもの"ということを天下に公表し、うちの嫁さんに、うちの旦那に手出しは禁止だぞ!ってことを知らしめるのです。
そうすると、結婚という概念は愛しているとか何とかいう前に、自分はこの人に所有されているかということが問題になるのです。結婚というのはおもしろくて、独身の時は結婚すれば自由がなくなるなんて本気になって思っていたのですが、結婚してみると相手に所有されているのに自由がある。苦労もあるけど楽しみも2倍以上あるのです。
こういう感覚が持てるようになればその結婚はおおむね成功と考えてもいいのではないかと思います。それは何故かというと、結婚によって相手に対して主管権(愛と道理による影響力)が生じたからなのです。時には総理大臣になったり、時には国民の立場になったりと、主管権と被主管権を同時に味わえるのですからこんなにおもしろいことはないのです。そうすると結婚というのは人間のあらゆる能力を試す絶好の場所でもあるといえるのです。結婚をおもしろくしちゃうっていう工夫はいろいろと出てくるようにも思いますが?
「貴方は所有されることの喜びを知っていますか?」結婚とは所有権の決定である。
そうはいっても相手の人間的なレベルがあまりにも低かった場合はどうしたらいいのか?という問題が出てきます。それは、レベルアップをして育てなければならないという作業が残っていますから、実は結婚以前の出発を覚悟しなければならないということになるわけです。 |