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愛を失ったとき(2) |
愛しているとは、あばたをあばたと知りつつも、それも貴方の一部分だからと素直に受け入れる姿勢のことなのです。あばたもえくぼとは、あばたがえくぼに見えるときはいいのですが、えくぼがあばたに代わるときだってあるのです。いいところも悪いところもわかっている。それでも貴方を愛します。それが眞の愛です。愛情のホルモンは能動的で主体的です。受け身では愛にはならないのです。
他の人がたくましく強くて知的にすばらしい人であれば、人は心ひかれます。それでも、自分のそばにいる人に心ひかれて交流を結べる人は、愛する能力を持った人といえるでしょう。愛は一方通行ではなく交流がもててこそ愛になれるのです。どんなに相手がすばらしくても、自分に正しく愛情を返してくれる人こそ、愛する人なのです。
人間は比較する能力を持っています。しかし、選択する自由も持っているのです。それは神から与えられた人間の特権です。もし、貴方が愛を比較し始めたならば、もはや貴方には愛はないのです。愛の性質に比較はないのです。愛とは本来絶対的なものなのです。絶対的とは、変わらないということなのです。
もし貴方が、愛を比較することを身につけてしまっていたとすれば、かわいそうですが、貴方は愛されてこなかった人なのです。何故なら、比較すること自体が自己中心だからです。貴方が比較できない愛を感じ始めたら、その時貴方は変わることができるのです。
愛を失ったとき(3)
比較を無視するところから愛が始まる。と書いたと思います。もし、貴方が愛した人がいて、失恋したとしましょう! そのとき貴方はどうしますか?
刃傷沙汰になりますか? それとも、相手が忘れられなくて、床に伏してしまいますか? または、食もノドに通らず、相手の亡霊を追っかけていますか?こういう人は愛を忘れられなくなった人です。愛を失うことの現実を認められないのです。簡単に言えば執着から逃れられないということです。
ここでは、何故忘れられないかということを考えてみましょう! 忘れられないということは、自分よりも相手の価値が上であったと感じている証拠です。その人は自分に価値を与えてくれるから大切な人であったのです。その人と一緒にいることで自分の価値が高められる。そこのところに愛を感じていたのであって、その人そのものに愛を感じていたわけではないのです。結局は突き詰めるとお金や肩書き、地位名誉など自分が求めても得られなかった物を持っていたからなのです。こういう人の愛はものすごく自己愛的なのです。もともと、愛を持っていたのではなく、奪おうとしていた愛を奪えなくなってしまったショックにすぎないのです。
こういう愛情を依存する愛といいます。依存する愛は長続きしません。何故なら、不満がどんどん増幅されるからです。自己満足的な供給源としての相手の愛情ですから、相手が供給する物がなくなれば、愛がなくなったと勝手に思っちゃうからなのです。そして、要求だけが強くなる。答えてくれなければ、愛してないだの! もう私なんかどうなってもいいのね! などと脅しにかかったり、手に負えなくなる。それでいて自分はこんなに貴方を愛しているのにと思いこんでるから困るのである。
依存する愛はいつか失います。その時、"相手を失った事実"を受容できるかどうかで、貴方が愛の再出発をできるかどうかが決まるのです。執着すればするほど愛を失うという事実に早く気がつくことです。
最近の援助交際なんていうのも、依存する愛の変形と考えてよいと思います。
相手が要求をし出したら、これは依存する愛の持ち主かどうか警戒する必要があります。もし、層だとしたら早く手を引くべきです。被害を受けるのは貴方ですから!
貢君は幸せになれない!
愛は与えるものといわれます。しかし、中には何かを与えていなければ安心できない人がいます。要するに与えることで、自分の安心を買おうとするのです。
こういう人は、幼い頃、親に媚びを売ってなかったですか? 親に一生懸命自分の何かを貢いでこなかったですか? そのことを問うてみる必要があります。親に自分の持っている能力の何かを見せなければ愛してもらえない経験を多く積んできた人に違いないのです。相手に何かを見せなければ注目してもらえなかった。そうでなければ無視され続けた。そういう人は、自分の何かを切り売りすることで愛を得ようとしてきたのです。
こういう人が大きくなると、相手に貢ぐことでしか愛を獲得できなくなるのです。貢ぐものがなくなることに不安を感じ、自分に何もないのに愛情を注がれれば、そのことに疑問と不信と不安を感じてしまうのです。もしこういう人が、うまく結婚にこぎ着けたとします。
こういう人は、本当は貢がれることを望んでいるのです。相手との力関係が逆転したとき、相手に貢ぐことを強要するようになるのです。要するに貢君の本質は、これも依存心なのです。相手に依存心があるとき、それは愛にはならないのです。
絶対的な愛を経験した人のみが、主体的な愛で人を愛することができるのである。
貢君に本当の愛はないのである。それでは当初から幸せは蜃気楼も同然だのです。
愛の自分流定義!
愛とは、相手をどのくらい認められるかである。自分の世界に押し込めてしまうのは愛ではない。
・・・・・・・天使の占い(陽陰姓名術協会)・・・・・
私のプロフィール
将来外航船の船乗りになるべく、船舶通信士養成の学校を5年間通い、第2級無線通信士の資格を取る。その後、ひょんなことから第1級無線通信士の資格を数科目残して人生行路を転換し(大病を患う)、空海の声に導かれて陽と陰の研究をし、陽陰姓名術を開発する。現在、コンピューターの仕事をしながら、陽陰姓名術協会の代表を務める。著書に、人生のアドバイザー、陽陰家系術がある。
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