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@ 陽と陰? |
ここでは、人間関係という複雑な問題を考えるときに、重要な鉄則を提示しておこうと思う。それは、複雑な問題は、それを全て単純化して整理するということである。
そのもっとも単純な状態が、「陽」であり、「陰」であるということである。地球上のあらゆる生物は、何らかの形でこの陽と陰に収まっているといえることが出来る。人間の男と女、夫も妻も、親父とお袋も、ジーとバーもやはり、陽と陰である。
もう一つ、人間関係という複雑な問題を考えるときの重要な鉄則は、原因と結果という科学的な考えを持つことである。原因=結果なのである。ここには感傷のはいる余地はない。例えば、離婚という結果が出ていれば、当然その原因は存在するのである。どこかの宗教のように"あなたが問題なのです"と言われて、自分が諸悪の原因のように考えるのは、全く科学的根拠からはずれているのである。要は本当の原因を探ることの方が重要なのである。
陽とは何か!太陽と考えればよい。陰とは何か!月と考えればよい。陰陽道の阿部晴明以来、光のあたらない黄泉の世界を陰とし、光のある現世を陽としてとらえられてきたが、簡単に言えば、「陽は、光のあたっている状態」「陰は光のあたらない影の状態」と考えればよい。
相対的関係とは?
江戸期の浄瑠璃作家・近松の作品に有名な曽根崎心中がある。心中とは美しく聞こえる言葉であるが、実は当時は相対死と呼ばれていたらしいのである。
心中とは、陽と陰である男と女が相対して、死を選んだということなのである。ここで、相対とは、相手に対して変化することを意味する。そうすると、心中するためには、男か女が死にたいともらし、それに呼応して、どちらかが私も一緒に死ぬわ!となるのである。このように、相対的関係とは、「相手によって変化する関係」と言うことが出来る。
ここで問題は、どちらが先に"死にたい"と言い出したのかということなのである。心中は、この"言い出しっぺ"の意志が固ければ、成立するのである。
陽と陰の相対的関係は、両方が同じでないということなのである。どちらかが主体になり、どちらかが対象になると言うことなのである。ここで、陽と陰は、主体と対象という相対的関係になると言うことがはっきりしたわけである。
しかし忘れてはならないことがある。「死にたいという言い出しっぺ」である主体には、"死ななければならないのっぴきならぬ事情"ッてのがあったはずである。と言うことは、「こののっぴきならぬ事情」と言う絶対的な要素があって、相対的な関係が成立しているのである。
ここで法則1・・・・絶対的事情が主体と対象の相対的関係を結ぶ。
相対的関係で豆電球は光る
法則2・・・・相対的関係は社会面では陽が主体ー陰が対象。夫婦では陰が主体ー陽が対象。
法則3・・・・相対的関係は親子は縦の相対的関係。夫婦、兄弟、恋人などは横の相対的関係。
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