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親からの解放! |
ここまで自己の内面を見つめてくると、じゃあ! 私はどうすればいいんですか?と開き直りたくなる。しかしここでは、そういう自分という存在を正面から見つめるという作業が大切なのである。これも技術である。
次にもう一つ重大な作業が残っている。それは親からの解放である。子供という立場から見ると、親という変な存在をどうやって振り払うかと言うことが大変なのである。このことはとても重要で、親の方から見れば、一生懸命育ててやったのだからという意識が当然ある。ところが子供にしてみれば、えらい迷惑な話で、生まれたときにすでに地球はあった。と同じように、物心ついたら生きてる環境があって、親という変な生き物がいたのである。別に頼んで傍にいてもらったわけでもないのに、いるのである。選択の余地なしに受け入れざるを得ないのは、子供の悲喜劇である。
その親から、良きに付け悪しきに付け影響を受けて、自分という人間の人格が形成されていった。すると自分の心の声が叫ぶのである。これはどうも違うぞ!本当の自分の心は"こんなんじゃあないはずだ"そういう心の声に耳を傾け始めると、自分の心の敵がはっきりしてくるのである。それが、もっとも身近にいる親であることが分かってくる。
ここが複雑なところなのである。自分の味方も親であると同時に、自分の本当の敵が親であることを悟るようになるのである。味方であると同時に敵という状態。問題はこういう心の状態に子供がいるということさえ、親は理解していないということなのである。
そこで、自分は敵である親のどんな呪縛にかかっているのだろうかということを知る必要があるのである。
親からの解放1!
@親に対してのわだかまり、自分の感情や自分の欲望をはっきりと表現できなかった人は、その関係を配偶者との関係に持ち込んでしまうのである。
A親との関係において築かれてきてしまった世界、自分の感情を表現できずにいた世界、自分をかくしてきた世界など、親との関係において未解決の心の問題は、それらをもっとも身近な人との関係にそれを持ち込み、何かが解決するまで繰り返すようになるのである。
B人の心が受け止めてきた環境というのは恐ろしいものである。知らない間に、自分は過去の同じ環境を作ろうとしているのである。親しくなると、いつの間にか重苦しい不快感が出てきてしまう人、反対に軽率でいつもぽかをやって怒られる人。人はいつも知らない間に自分の感情を再体験してしまうという癖があるのだ。
C親はしつけという名の下に様々な権力の行使をしてくる。それが暴力的であったり、押しつけであったり、服従であったりと形は様々であるが、問題は何か?子供がその時に、何を決断して、何を決意したかということである。
D親は子供の心を犠牲にして、自分が幸せを感じていることで、子供も幸せであると錯覚している。事実は逆で、尊敬しているように装っているだけなのかもしれない。
親からの解放2!
E権威主義の親に育てられた子供は悲喜劇である。こういう親は、子供から突き放されたときにそのショックから自分を見いだせなくなってしまう。反対に子供の方は、社会に出てから世の中の権威という力に対してへつらうことを覚えてしまい、自分を長い間取り戻せないでいる。他人を喜ばせないといけないような錯覚に陥っているのであり、それが習慣になってしまっているから怖い。こういう人間がちょっとえらくなるとやたらに権威ぶって、権力の傘を着るから始末が悪い。
F家庭は社会の縮図である。親という権力者の存在。そして、そこにおける具体的な力の行使、それに伴う犠牲、奉仕の義務、服従と感情の抑制、喜びと感謝の強制的表現、様々な圧力の中で、子供は生きるということを必死で学ぼうとしているのである。
G昔の親父は権威があった。今の父親像は何だ。父権喪失だ。などと叫んでみても、どちらもいただけないのだ。なぜならば、どちらも子供は自分の心を解き放たれていないからだ。抑圧されるか、それとも野放しになり自分をどう扱って良いか分からないまま、もてあます心が怒りと自己中心性を爆発させる。
H自信のない親に育てられた子供は、一生不快感から逃げることが出来ないで苦しむ。何故かというと、親は子供に強制力を行使できない変わりに感情で不快を示し、子供に愛情と感謝の期待を押しつけるのだ。子供は親への失望感を心に深くしまうようになる。 |