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■2007年の運勢を考える!
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2007年を考えよう!
これまでの2006年の位置づけはどうなっていたでしょうか?
◆2006年の位置づけ・・・!
「世界的なつながりを求める年」
「様々な面で組織化とシステムを考える年」
ここで、もう一度日本の占い運命式を提示してみよう!
<日本の占い運命式(天使の占い・陽陰姓名術)>
14 9 13
6 18 112
10 9 17
10 17 13 14 10 17 13 14
13 14 10 17 13 14 10 17
2006年は次のような年であると書きました。
●<2006年は”つながり”を求める年>
ありふれたテーマですが、ここで私たちが忘れてはならないことが
あります。
それはいつでも”前進”を忘れないということです。
立ち止まってはいけないのです。その意味は、2005年が様々な結
果をもたらしてくれました。そして、大きな方向性をもたらしてくれ
ました。だからこそ、2005年の運勢の結果を受けて、そのことに
よって、日本という大きな袋の中をのぞいてみる必要があります。そ
の中には、「善の実も悪の実もあるということ」なのです。
これから必要なことは、日本のために”次につながる”「善の実」だ
けを選りすぐらなければならないのです。そして、それらを整理して、
設計図を実行に移すことのできる、準備が必要になるのです。
その為に、”つながり”が重要になるのです。
聖書には「人が一人ではよくない、人のために助け手をつくろう」
(創世記2/18)といって、神は女性を創ったとあります。
「助け手としてのつながり」を求めて造ることが重要なのです。そう
いうステップを踏む段階に日本はやって来たということなのです。
国際的に、その”つながりの相手”がアメリカでいいのか?アジアで
はどこになるかは相手をよく観察しなければならないでしょう!
少なくとも、日本にとって「善の実」をもたらしてくれる”助け手”
を選択しなければならないということになります。
キーワードは「善の実」「つながり」ということになるでしょう!
●<日本の特徴を忘れないで!>
日本という国は面白い国で、自信を持つとどんな逆境でもその自信
が支えになってすすんでいく強さがあります。反対に、ひとたび自
信を失うと、何をやっても自分でできなくしてしまうようなところ
があります。それくらい極端なところがあるのですが、なにか思い
詰めるとそれしか見えなくなるという特徴なのです。
でもそれだけではなく、素晴らしいのはちゃんと作戦を立てて、相
当いろいろと考えることのできる世界を持っているというのです。
そういう国の持つ運勢の中で”つながり”という運勢をどのように生
かしていくかを考えねばなりません。
●<2007年、つながりと気配りの年>
1)この一年、”和”を考えること。
2)この一年、様々なつながりを求めること。
2006年と同様に、この2007年も「つながり」というキーワー
ドに「気配り」という新たなキーワードがプラスされます。
3)これは、「細心の注意」が必要ということになります。そして
もうひとつ別の意味では、頭を使わないといけないということです。
●<2007年という年で、忘れたはならないこと>
★●120年のバイオリズム
もう一つ考えなければならない大きなポイントがあります。それは、日本のバ
イオリズムです。日本の近代化の出発点は、1868年の明治維新です。
その明治維新から120年が日本の持つバイオリズムの頂点です。そうすると、
次の120年サイクルで半周期になりますから、そこでゼロベースになります。
ここからが人間の知恵が必要になります。ゼロベースに下げないでこのバイオ
リズムを如何に安定させてハイレベルで維持するかということなのです。
ということは1988年のバブルの頂点からが戦いになるのです。日本の国の
持つ運勢からは長期戦は難しいが短期的な作戦は得意としますので、今の時を
準備していく必要があります。そこに歴史的な知恵が必要になるのです。
★★日本の歴史は、ほぼ120年サイクルになっているという
不思議★★
国家が国家としての資格を整えるのには、国際的な宗教が必要であった。そこで日本が
国家としての成り立ちを整えるようになった期限を仏教伝来に求める。
・538年ー百済の聖明王が仏像と教典を日本に送り、仏教が伝わる。
★134年後
・672年ー壬申の乱ー大海人皇子が天智天皇の太子である大友皇子を滅ぼして、
天武天皇に即位する。
★112年後
・784年ー奈良仏教各寺の影響力の肥大化を厭い、桓武天皇が長岡京に都を移す。
★110年後
・894年ー遣唐使の派遣が菅原道真の建議により中止された。(仏教や先進技術
の輸入が目的)
★123年後
・1017年ー藤原道長が太政大臣となる。
★150年後
・1167年ー平清盛が太政大臣となって実権を握る。
★93年後
・1260年ー日蓮が「立正安国論」を著す。
★118年後
・1378年ー足利義満(三代将軍)が京都の室町に花の御所を置く。
★117年後
・1495年ー北条早雲が小田原を攻め落とす。
★128年後
・1623年ー徳川家光(三代将軍)となる。
★119年後
・1742年ー江戸幕府・公事方御定書という法典を完成。諸藩もこれに倣い、
実質日本の統一法のようになった。
★126年後
・1868年ー明治維新
★121年後
・1989年ー昭和天皇崩御
★★日本の運勢の転換点である1989年前後の政治情勢
1987年の中曽根裁定が最も重要な、日本の120年の運勢を決定する重要な
セレモニーであった。
中曽根裁定(なかそねさいてい)とは1987年10月31日中曽根康弘総裁が竹下登
幹事長、安倍晋太郎総務会長、宮沢喜一大蔵大臣ら安竹宮から竹下幹事長を
次期総裁に指名した事を指す。
ここで影響力を残したい中曽根の欲が日本の運勢を狂わせた。本来選挙で公平に
選出することで、運勢の相続をしなければならないのに個人の欲を優先させた
中曽根の大きな政治的な判断の誤りであった。と僕は考えている。そのことは、
後に自民党政権が崩壊することからも明かであると思う。
1987年卯年ー竹下内閣誕生
1989年巳年ー宇野内閣誕生(女性スキャンダルですぐに退陣)、海部内閣誕生
1991年未年ー宮沢内閣誕生
1993年酉年ー細川内閣誕生(自民党政権崩壊・日本新党)
1994年戌年ー羽田内閣誕生(社会党離脱)・村山内閣誕生(自、社、さ連立政権)
1996年子年ー橋本内閣誕生
1998年寅年ー小渕内閣誕生
2000年辰年ー森内閣誕生
2001年巳年ー小泉内閣誕生
2006年戌年ー安倍内閣誕生
●償いの歴史を内閣はたどった
この簡単な年表を見ても明らかなように、1987年に始まった竹下内閣からの
間違ったサイクルが1996年の橋本自民党政権の誕生まで続くことになる。
その償いをするかのように、1996年子年から始まった橋本政権は、小渕政権を
通過点にしながら、日本の運勢の120年出発点である1988年の辰年と同期を
はかるように12年というサイクルを元返しながら、2000年辰年に森政権が誕生
することになる。こうして、辰年に始まった森ー小泉ラインが2006年戌年の安倍
政権誕生までこぎつけたことになる。これは、まさに間違った選択をした中曽根裁定
によって生じた歪みが1994年戌年の羽田・村山内閣の誕生まで続き、それを
2006年戌年の安倍内閣の誕生によって償った形になるのである。
●安倍内閣ー岸政権との不思議な因縁
もう一つ重要なことがある。
それは、安倍総理の尊敬してやまない岸信介元首相は、1957年酉年に内閣を組閣し、1960年子年に池田勇人にバトンを渡すまで、首相を務めたのである。安倍総理は
奇しくもその時と同じような戌年に組閣をしているのである。
この戌年、亥年というのは「天使の占い」では、政治的な運勢はちょうど「仕分け」
という運勢期に突入しているのである。どういうことかというと、全てのものを善と悪
などのようにちゃんと分けるときなのである。これは一番難しい役割なのである。
岸首相は、それを見事やり遂げ、安保条約を改定し、日本の設計図を描きなおした
人物である。同じ時期に安倍内閣が遭遇しているというのは、これも因縁といわざるを
得ないのだ。だからこそ、安倍政権は日本の進路を決定する重要な運命を背負って
いるのではないかと思う。
●2007年の運勢は、「つながり」をしっかりとつくりながら、「仕分け」を実行し、
子年の設計図を書くために相当の準備が必要ということになる。そういう意味では最も
重要で、将来の材料集めになる年であるから、企業の経営者や、組織のトップリーダーは、相当アンテナを高く張らなければならないと心得た方がいい。
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