占い一言コラム 相性占い編
◆相性占いに凝る人がいる。そういう人はやたらと相手との相性はどうなのかばかり気にする。陥りやすい欠点は、自分のことを棚に上げてしまっているということだ。自分をしっかりと見つめてこそ、相性を占うことに価値が出る。
◆恋人を選ぶ基準は何だろうか?その辺をちゃんと考えて付合う相手を決めているのだろうか?自分の寂しさを紛らわすだけならば、それはマスターベーションと何ら変わりはない。ちゃんとしたつきあいは、相手の心の中に必要とされる愛情なのだ。そういう相性を見なければならない。
◆愛することは、キャッチボールと同じで、自分の考えの一部分を相手に投げてみることだ。そうすれば、うまく受けてくれる相手かどうかがわかる。そういうことがわかれば、本格的な相性占いも意味がある。
◆相性占いには、不思議な力がある。というのは、相性って何かということを考えたらよい。それは”情的引力”なのだ。情的な引力がなければ、相性は出てこないのだ。引力があれば反発力もある。源義経にはそういう情的引力があった。頼朝が持っていたものは、巨大な欲望という引力だけだったのかも知れない。それが源氏の運命をドラマチックにしてしまった。現代人に必要なのは、義経のような情的引力なのだろうか?
◆その昔、「愛するって、耐えることなのね!」なんてフレーズがはやったことがある。こんな事を言うと、”団塊の世代”ってことがばれてしまうようだが、この言葉は今でも通用する。実は女の人ではなくて「男の人」にである。占いにもかっこは男だが、中身が女っていうケースが相性占いに多くなった。これも世相という運勢のなせる業なのか?
◆相性占いは、とっても勉強になる。などというと不謹慎ではあるが本当だ。人の関係というのは、相対的であるというのが真理なのだが、その人間模様は実に天気のようなのだ。雨や雪や曇りや嵐や快晴や、本当にいろいろだ。しかし、そのどれもその人のもっている運命式に関係しているところが、様々に気づかさ
れる点なのだ。
◆気になるのは愛情運。どんな恋愛ができるのか?いい彼はできないか?など関心事は多い。結婚を考えれば、いい相手がいないから!などと思う人もいる。うまくいくかどうかは相性なのだが、出会いは”縁”である。縁というのは、自分の意識と関心の持ち方なのだ。それが求心力となる。それがないと、愛情運は生かしようがない。
◆相性占いは、多分占いの中で一番難しいと思う。何故ならば、相手とのつながりの中に道を見つけなければならないからだ。相性というのは、変化する相手の中に変わらない真実を見いだすということだ。それが本当に大変なことなのだ。それだからこそ相性占いは価値がある。
◆相性占いで一番の問題は、自分が考えている様に相手が反応してくれない。相手が見えないというものだ。実はそうではなくて、自分が見えていないのだ。そのことが、結局は相手との距離をひろげてしまう原因になっている。そこに気が付くまでに時間がかかる。
◆人間というのは不思議な生き物で、ある人といると落ち着くのに、別の人といると何故かイライラしてくる。そういうことがある。実はこういうことは、赤の他人との間というよりは、自分に一番近い身内でよく起こる問題なのだ。”えっ!”と思うのだが、案外とそういうものだ。そういうときは”占い”で相手の性格やら行動パターンがわかると、自分が被害を受けないですむようになる。
◆「人はパンのみによって生きるにあらず」とは、バイブルに書かれている言葉だ。確かにその通りだろう!最初、人はパンを求めるが、最後に求めるのは「励ましや真実の言葉」だ。占いは人に「生きる心の糧」を与えているのだ。だからこそ、相性、命名、改名など占いは希望でなければならない。
|