占い一言コラム 占い全般編
◆実は仕事運というのは、本人自身と密接なつながりがあるのだ。仕事運が悪いので自分はうまくいかなかったのだ。これは、逃げ口上なのだ。本当は仕事運を生かす努力がなかっただけなのだ。
◆いずれ爺と婆になる。そして年金生活が待っている。その年金も今のご時世当てにならないときている。「占いでは私は老後どうなるのでしょう?」そんなのは占いではない。”ありとキリギリスの論理にすぎない”準備なき者は滅びるのだ。秘訣は、運勢のあるときに準備しておくことだ。
◆黄昏時、買い物をした主婦が家路を急ぐ。夕食の食卓は大切だ。何故ならば一日の収穫を占うときだからだ。ここが楽しくないとき、明日の希望は少なくなる。
◆人の運命式を見ていると、突然自分の目の前に人の幻が現れる。その背中には「運命式という宇宙を背負っていた」のである。数字の中に人の歩みが現れている。できればよい幻を見たいものだ。
◆よく占いや相性占いをしていて、断定する人がいる。相談にきている人から見れば、確信を持った断定は信じざるを得ない。何故かというと、自分で検証するすべを持たないからだ。でもこういう占いはほぼ「インチキ」が多い。占いは選択する道筋を示してあげるだけなのだから、方向性が提示できなければ意味がない。
◆仕事がうまくいかない。仕事運を見て欲しい!こういう人もいる。実は仕事運というのは、本人自身と密接なつながりがあるのだ。仕事運が悪いので自分はうまくいかなかったのだ。これは、逃げ口上なのだ。本当は仕事運を生かす努力がなかっただけなのだ。
◆昨日は空海展を見に行った。その空海の業績はあまりに偉大であるが、中でも曼陀羅には恐れ入った。そこに人の運命を司る秘密をかいま見たからである。命名や改名、相性占いにはそういう宇宙の法則が凝縮されている。
◆空海展は、文句なしに素晴らしかった。なんと言ってもその仏教美術のすばらしさだ。その美術品の技術の高さにはある秘密があることに気がついた。ちゃんと法則性があるのだ。そういう宇宙の法則が、命名や改名、相性占いにも当てはまる。
◆同行二人・・自分一人で生きているのではなく、空海さんが共にいてくれる。そんな感じを空海展で納得した。占いによる運命が主体ではなく、自分の運命式を使用する自分が主体なのだ。そう考えて実践することこそ、道を開くことになる。
◆占いで一番気になるところは”運勢”なのだろう!ところがこれほどいい加減なものはない。自分でいうのだから間違いない。何故かといえば、”運勢”なるものの実体はその人自身だからである。そこには自分の扱い方と、自由な判断があるからだ。だから、「人事を尽くして天命を待つ」というようになれば、”運命”が決まるのである。そこからが勝負だ。
◆世の中には、自分の運命は既に予定されていてどうにもならないんだ。だから、もしできることならばあらかじめ自分の運命を知っていて、心の準備をしたいという人がいる。ところが、運命というのはそんなに単純なものでもなくて、既に決まっているものなのかというと、そうともいえないのである。”降りかかる火の粉”というのがあるが、それをどう処理するかは人間の自由なのだ。そこに、運命の難しさがある。この人間の自由によって、それから以後の方向性が大きく変わってくるから、やはり運命は決まっていないと考えた方がいいのだろう。それよりも”運を運ぶ人”になった方がいいのだ。
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