一言コラム集・命名編(3)
占い一言コラム集は遠山快空(陽陰姓名術「天使の占い」の生みの親であり、 遠山球希の師匠)の格言日記の中で述べている「一言居士」をピックアップした ものです。占いをする立場の者の姿勢や占いに対する考え方の基本的な考え方をストレートに述べています。 皆様方の何かの参考になればと思いここに記しました。
※いちげん-こじ 【《一言居士》】 何事によらず必ず何かひとこと言わなければ 気のすまない人。
◆命名は人の運命の幅を決める作業でもある。それを持つ権利が親なのだ。だから、親が子に責任を持つというのは、そういうこの人生に影響を与えているからなのだ。もちろん養育ということに大きな意味はあるが、それも本人の持つ内容にあわせて、その可能性を引き出すだけだから、基本は子供の持つ生命力の内容になると思う。そういうパワーを決定する要素が命名なのである。 ◆命名とは、人が後孫に残すことのできる唯一の財産なのかも知れない。何故ならば、有形なものはいつか滅び去る運命なのだが無形なものは無限の可能性を持っているからだ。命名の中に秘められた暗号は、その子供の将来を暗示する大きな可能性を与えるからである。だからこそ命名は、”命の名前”なのだ。 ◆命名にこだわりあるというのは、至極当然なのだ。でも忘れてはならないのは、命名の主体は誰かというと、名前を付けられる「赤ちゃん」なのだ。親の希望もあるが、それよりも赤ちゃんの希望や将来に思いをはせてこそ、命名のこだわりに意味が出てくるというものだ。赤ちゃんも一方的な親の押しつけはゴメン被りたいはずだ。 ◆命名は最近ではペットにまで及んでいる。ここまでくると人間の執着心はすごいなと思う。果たしてペットに運勢があるのかという問題だが、運勢というのは人間だけが持つ特別な世界なのだ。もしペットに運勢があるとすれば、それは飼い主の運勢に依存をしているという他はない。ペットに命名をするとすれば、それは飼い主の運勢を補完する役目を持たせることはできる。そこには大きな意味がある。 ◆命名や改名で、最も気をつけなければならない事は、自分を小さくしてしまうような数字を持ってしまう事です。そのことが自分造りの可能性を閉ざしてしまう事になりかねないのです。荒削りの大きな岩は、磨かれてほどよく個性を発揮するようになるから、運命式は個人がその魅力を発揮できるように道を造ります。それが、命名や改名なのです。 ◆欲張りな命名は、結局は運勢を失うのが落ちだ。そんなことをいうとひんしゅくを買いそうだが、焦点を絞れないから、どんな人になってどんな人生を送ってほしいかという願いから遠くなってしまうのだ。ひとつの玉を磨いた方が、いい歩ができるはずだ。そういう命名になればいいと思う。 ◆命名は出来る限り悩んだ方が良いかもしれない。なぜならば、それだけ真剣に考えた実績が生まれるからだ。親の愛情はそこに表れている。どんな子供になって欲しいのか?占い運命式をしっかりとみて、子供にしっかりと説明が出来る。そこにはドラマがある。だから、子供はその主人公になれるのだ。 ◆命名ということについて、何で人は名前を付けるのだろうか?人類最初の命名者は聖書に出てくる「アダム」といわれる。彼はすべての生き物に最初に名前を付けた人である。人間が最初にする仕事というのは命名なのだ。それほど、命名は重要ということだ。だから、陰陽師の安倍晴明の時代は名前を教えると”呪”をかけられるからと、人には教えなかったものだ。現代では、 反対に名前の持つ発展的な効果をうまく使うのがいい。それが命名というものだ。 ◆赤ちゃんというのは、生まれてくるときに真っ白かというとそうではないのだ。お腹の中にいるときに既に、10月10日の期間にわたって、様々な情報を集めてきているのだ。だから、生まれるときに1歳という年齢を旧暦ではもらうのだ。だから赤ちゃんの名前で、名前の情報もお腹にいる時からお母さんが声をかけてやった方が親子のつながりがしっかりとできるのは当たり前だ。 ◆命名ということを考えたときに、親心では細かく心配して「あれやこれや」名前にこってみることも必要だろう!親ならば当然のことだ。しかし、赤ちゃんの名前に一番必要なことは、その命名の時の親の心情基準を下げないで、子供が成長するまで維持できるかどうかという決意なのだ。そういう意味では、親も子供の命名と共に新しく生まれ変わるようなものだといえる。命名と共にその子を傅育するような姿勢が必要だろう! ◆名字は苗字ともかく。いずれも土地にゆかりがあることを表している。それほど日本人は土地とのつながりが深いのだ。苗字の次に付ける名前ー命名は、その土地との深いつながりのある人の生き方の中で、意味のある名前が好んで付けられたのだろう。だから、命名にはそういう苗字と名前の持つ調和が求められようになったのだ。
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