占い一言コラム 占い全般編3
◆運命を呪うという人がいるが、運命そのものはどこにあるかということがいえる。実は運命は神や仏が持っている者ではなく、自分自身に内在する生命力なのである。そのように考えてみると、運命を呪う人は結局は自分を呪うことにつながるのである。呪われていると思っている人は実は自分での朗材料を集めているところがある。もっと運命を好きになろう。そうすれば運勢はやって来る。
◆占いは、人の運命を扱うものだ。それだから、慎重にならざるを得ない。それによって、人は何かの決断をしている。そういうアドバイスを与える立場は何によって与えられるか?自己欲ではできないのだ。「公平無私」そういう精神を貫けるかどうかが、相性や改名、命名など大切な占いで重要になる。
◆個人の運勢というものはどんな状況でも一つの可能性に過ぎない。だから運命は自分の持つ運勢をどのように活用するかによって決まる。そこに人間の判断の恐ろしさがある。運命を良くしようと思えば、どのように判断をすればいいかという訓練を積む必要がある。そういう指針が占いのアドバイスなのだ。だから、アドバイスをバカにする人は運勢を失う。
◆占いの相談というのは、救急車で運ばれてくる病人のようなところがある。その時解決しなければ”意味”が無いことが多い。だからこそ、その時々のアドバイスがとても重要になる。その時々の判断が人生のターニングポイントになるからなのだ。
◆歴史は繰り返すとよくいわれるが、実は占いも繰り返すのだ。それは、自分で運勢をどこかで失敗したことがあると、そういうシチュエーションにまた遭遇するのである。それをチャンスと見るかどうかで運命は大きく転換するのである。
◆感謝という言葉は運命をも支配するのだ。反対に恨みという言葉も運命を支配する大きな要素だ。それは全く同じ意味を持って、結果が全く異なるようになる。占いの結果を”感謝”で受けとめれば、運命の扉は大きく開かれることになるはずだ。
◆占い運命式を見ていて、これといった特徴のない人がいる。だからどうというわけではないが、人間は右にも行けば左にも揺れる。そういうところから、ほどよい支点を自分で見つけることができるのだ。人の魅力はそんなところから生まれる。だから、占い運命式は運用次第で楽しくなる。
◆今年の運勢はどうだろうか?誰しも関心がある。運勢はとても重要だ。何故かというと、自分のこの1年間の基本的な指針であるからだ。その辺を知っているかどうかで、判断が大きく異なる。まさに”知ること”は人の道を左右することになる。
◆人間というのは不思議な生き物で、ある人といると落ち着くのに、別の人といると何故かイライラしてくる。そういうことがある。実はこういうことは、赤の他人との間というよりは、自分に一番近い身内でよく起こる問題なのだ。”えっ!”と思うのだが、案外とそういうものだ。そういうときは”占い”で相手の性格やら行動パターンがわかると、自分が被害を受けないですむようになる。
◆占いに凝ってはいけない。特に方位などにこっている人を見ると情けなくなる。すべてのことに方位を見てこれは凶だから、こちらの方に動いてはいけない。などと本気で思っている。そして、じっとして家から出ようとしないのだ。仕事があってもだ。ここまで来ると迷信だ。占いはあくまで自分が決断するときの判断
材料に過ぎないのだ。
◆若いときは野望も大きいし、多情だ。それでもいい。そういう荒削りが年を経て丸くなり、ちょうどいい大きさになる。だから、突っ張るくらいがいいのだ。”占いなんて信じない”といってるくらいがいいのだ。その方が本当に自分に指針が必要なときには、占いに大きな価値が出る。しかし、信じる心を持たない人は結局はそれ止まりだ。
◆世の中には自分で物事を決められない人がいるものだ。そういう人が悪いというのではない。人間誰しも絶対というものを持っていないのだから当たり前だ。「わたしは強い」「わたしは賢い」「わたしは偉い」などと思っている人間ほど、実は相当レベルが低い。占いという情報でもそれを判断できる人の方がよほどレベルが高い。
◆占いの歴史は古い。占星術は聖書の時代まで遡らなければならない。イエスキリストの誕生を預言したのも占星術の学者だ。人の運命は自然の摂理と大きな関わりを持っているということだ。だから自然を観察することは、自ずと自分との運命のつながりを感じさせてくれる。自分も偉大なる生命の一部分なのだということを!
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