占い一言コラム 占い全般編8
◆今年は辻占からはじまった。一つめの菓子には「よいお便りがおくれます!」
二つめの菓子には「望みごと必ずかなう!」三つ目の菓子には「食べるに不自由なし!」ということが書かれてあった。
辻占というのは、面白いものだと思う。神社のおみくじよりも好きだ。何故かというと、遊び心がいっぱいだからだ。それに、お菓子としてお茶をしながら遊べるというのは、なかなか心憎いではないか?
しかし、どんなときでも遊べないのが「命名」である。この依頼は、人の一生と誕生の瞬間の全ての霊性がそこに宿るような気がするから、いつも緊張して手が抜けない。だからこそ、大きな喜びもそこにある。
改名というのも命懸けだ。1年をリセットするのではなくて人生をリセットするのだから、ここでも命と命のぶつかり合いだ。そういう戦いを使命としてきた1年であった。
相性もいろいろとあった。人の縁を扱うことの難しさや素晴らしさを知らされもした。そこに人の真実の生き様を見た1年であった。
◆2007年はやはり「金を振り分けるように、銀を振り分けるように」全ての善と悪が別れてお蔵に入ったことになる。
これからが問題だ。だから、様々な問題点が出て「偽」がクローズアップされてしまった。しかし、お蔵に入った「真」が本当に問題なのである。
この真をどういうように設計するかという問題が検討されないままになっている。もう一度、2007年の「真」が何かを考えてみる必要がある。あと1日だ。
◆占いにはいろいろとある。手相もそうだ。人相・骨相もある。四柱推命などもある。しかし、いずれも手法に過ぎない。人間の可能性というのは、自己の創造性を高めるところにある。その為の「よりしろ」と考えれば、占うことの大きな意味が出てくる。方向性をはっきりとすることと、それに向かって準備をすることなのである。そこに占いの真実性がある。だから、占いで「私の運命を教えてください」などというのは、「自己を創造すれば、運命は開かれます」と答えることにしている。
◆相性占いにはいろいろな要素が入り込んでくる。個人の持っている性格や様々な運勢もあるのだが、要は相手のあることだ。もちろん相手にも性格があり、それぞれ持っている世界が異なる。
そういう中で、どうやって交流するかということが本当の相性占いだ。だから、それは、状況やその時の課題によって変わるのだ。交流の仕方は一つではない。幾通りもあるのだ。変化に対応すること、それが相性占いの醍醐味なのかも知れない。
◆世の中占いが何と多いことか!サイトの数だけでもビックリするくらいの数がある。それだけ占いに関心が高いということでもあるが、実はそれだけ内容的に薄まってしまっているということもある。
でも、「ちょっとだけ」という何とも”くすぐったい心”が人にはあるものだ。
そんなことが満たされるだけでも占いはいいではないでしょうかね。
◆占いで必要なものは何かというと、人を占うというよりは、人の成長を助けてあげるという観点が必要なのだ。占うというのは人の運命を裁くことではない。そんな運命の裁きは神様以外に権限はないはずだ。人の心の方向性を一緒になって見つけてあげるという為に、占うということがある。
◆辻占というのがある。ちょっとしたことをその都度その都度占ってみるのである。そういう占い菓子を昔は売っていたらしい。正月には、そういう辻占の遊びもあるくらいだ。人は面白いもので、そんな遊びはと思いつつ何かに自分を託したい夢を持っているものだ。意外と辻占に秘められた想いは、人の本気が隠されているかも知れない。
◆占うということには、大切なことがある。よくお金儲けで占い師になりたいという人がいるが、占い師は儲かる仕事なんかじゃないのだ。それに、占ってもらいたい人から見れば、儲かる動機の人に占ってもらったら「ぼったくられた」ということになる。占いは人に対する愛情があってこそ占うことができるのだ。愛情のないけばけばしい占い師がいたとすれば、そういう人には退場してもらいたいものだ。
◆占いというのは多くの人の心を引きつける魅力がある。それは、自分に関わりを持つからだ。自分の未来とか可能性などをどこかではかることができるからだ。そこのところが魅力なのだが、知るというのも怖いという心があるのも本当だ。しかし、考えようだ。知って早く対策を立てれば道が早く開かれることになる。占いはそういう道具だと思えばいいのだ。しかし、占いは未来を予言するものでは決してないことだけ言っておこう!
◆占いとは何だろうと思うのだが、人はどういうわけか不安になると占ってみたくなるものなのだ。占いは予言とは違う。予言は未来の可能性を予知するものだ。預言は人に対する神の言葉や意志を預かるものなのだ。だからこそ、それはメッセージになる。占いというのは、ちょうどその中間にあるようなものだ。だから預言もすれば、予言もする。その境界のあやふやのところが魅力でもある。
◆今回の参議院選挙で民主党で当選した虎退治の女性議員が公設秘書を決めるのに占い師に相談して決めたという。選挙に出るのもその占い師のお告げによったのだそうだ。占いは、人物評価をするのには必要であることは分かるが、自分が選挙に出るのが占い師のお告げということは、次元の違う問題だ。この民主党議員の見識では国政が危うくなる。
◆占いの魅力は何といっても知られざる一面をかいま見ることができるということなのかも知れない。相手を知るための必要なツールなのだ。ただ普段はそんなことは考えもしないで生活している。しかし、何か問題や課題があるとすぐに「あの人、ところでどんな人だった!」ということになる。人間というものは現金なもので、直接自分に関わりが出てくると、初めて真剣になるものだ。
◆占いというのはいつでも、微妙な立場にある。神様や仏様に相談を持ちかけるには、どうも自分がその立場に立てそうもない。で、知人や身内に相談するのはもっと嫌だ。等と考えると占いというのは、客観的に自分を見つめる一番いい方法だということに答えが出る。そして、自分の密かに思っている答えと占いの答えを照合して納得しようとしているのだ。答え合わせが合わなくても、自分の出発点をつくりたいというのも本当のところなのだ。
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