占い一言コラム 占い全般編4
◆運命というつかみどころのないものをどうやって自分のものにするのか?よく、運がついているとかついていないとか、一喜一憂する人がいるのだが、運というのは自分が呼び込む準備をして始めて掴むことができるものなのだ。人まかせで運勢をよくすることができるかというとそんな単純なものではない。だから自分の運勢のあり方をよく知っておくことは、自分の道を切り開くことにつながるのだ。
◆予言というものにはいろいろな意味がある。預言というのは、神の言葉を預かるという意味があるし、予言というのは未来を予知する力を持っていることを表している。運命や運勢というのは、そういう意味ではどちらかというと、未来を予知する予言というよりも、神の言葉を預かる預言と考えた方がよい。何故かというと、自分の運命や運勢の可能性を知ることによって、事前の対策をこうじれば、道を変えることができるからだ。
◆人は不運に見舞われると、自らの運命を呪ったりする。まあ、そういう気持ちがわからないわけではないが、それは非合理的というものだ。元々占いが非合理的で不可解なものと思われる方は、運命なんてどっちでもいいはずだが、そう人に限って人の性にしたりするから、始末が悪い。何故なら変わりようがないからだ。自分の持つ運命には必ずチャンスがあるものだ。多くの試練があっても試練の数だけチャンスというものは自らの運命式に隠されている。問題はそれを読み解く力だ。「天使の占い」はその辺をたすけるのがミッションなのだ。
◆運勢を呼び込むためには、呼び込もうとする運勢に来ていただく準備をしなければならない。そういうことを祭りや、様々な年中行事で人々はチャンスをつくってきたのだ。そういうことが失われて来つつある今は、自分で何かを造り出さなければならない。自分のライフサイクルの中で、自分の運勢に来ていただくためのお祭りを自分自身が主催すればいいのだ。でも自分の運
命式とかけ離れたことをしても意味はない。
◆運勢というのは、自分で作るものでもある。どうやって作るかというと、先ずは過去の運勢を引き継ぐものを捨てること。次に自分の夢や希望、目的と自分の運命式にあったものやカラーを自分のまわりに集めること。自分の中から新しい関係を作ることが大切なのである。
◆手相、人相、占星術、四柱推命、いずれも昔の人の知恵の集積体だ。そういう昔の人の知恵に頼っているところがあるのが現代の科学技術だという面もある。知恵というのはソフトなのだから、現代という環境にマッチングするようにしなければ意味がない。もしそうでなければ、それは迷信になる。
◆結婚できない症候群!なんて言ったら怒られるが、そう思えるほど、婚期が遅くなっている。どうしてか?理由はいろいろあるが、自分の人生を託して共に歩むにたる男がいなくなってきているといった方がいいのかも知れない。夫婦は二人で一人前!そう考える人がいなくなったのも原因かも?いずれにしても占い運命式のバランスの悪い人が多い。
◆心に願い思うことは皆やましいことばかりである。それが人間の一面でもある。大自然の個々の生き物は自分のために一生懸命生きることで、調和が保たれている。人間だけは万物の霊長として、他のために生きることが問われている。占いで相性を観るということはそういう自分を発見することだ。
◆運勢とは招き寄せるものだ。ところが自分で運をつかみに行くと返って逃げられる。運の方から来たいといわせるにはどうすればよいか?ということになる。運の方が寄って来たくなる内容を身につけることだ。「それができたら苦労はしない?」。だから、努力する価値がある。自分の運命式の内容にあった努力をしてみれば、運勢とは”気”が合うことになるのだ。
◆運勢というのは、確かに波がある。そういうサイクルがあるというものだ。そのサイクルをちゃんとつかめば面白いことが出来るが、そのサイクルを外してしまうと、苦しまなければならない。ではそうしたらそういうサイクルを捕まえることが出来るのだろうか?それは自分が不遇だと思うときがチャンスなのだ。その時が内容を積む準備であり出発点なのだから。
◆運命は自分で決めること。じゃあ天命は何?「人事を尽くして天命を待つ!」という言葉もある。人事というのは自分の努力、それににより自分の運命が定まったということが天命なのだろう!だから、人は運命式にあった努力をすることで、天命というものがわかってくるのだ。
◆人の運勢は、人ひとりによって決められているわけではない。多くの人との関わり合いの中で運勢というものは決まっていく。ただ、そのときにどういう判断を下すか!人の支援がその人に集まるかどうかという違いだ。要は求心力を持てる人になれるかどうかということになる。運命式にそういうポイントのある人は、運勢がいいということになる。
◆運命を呪うとかいう人がいるが、運命そのものが自分のものだから、それは自分を呪うということになる。自分の運命に感謝するということの方がよっぽど健康的なのだ。厳しいときも楽しいときも苦しいときも、運命の中の試練であるならば、そこには乗り越える価値がある。
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